町内の育成会の役員になった関係で、年末恒例の「しめ縄教室」を開催することになりました。
集まっていただいた皆さん、本当にありがとうございました!
毎年どんな想いで開催しているか知りませんが、ぼく的にはこれを開催するプロセスが素晴らしすぎたし、やる意味とか意義も自分の中で納得感があったので、これくらいの負荷なら全然やった方がいいなと思いました。
1.しめ縄は正月を気持ちよく迎えるためのもの
しめ縄(注連縄)には、神様をまつるのにふさわしい神聖な場所であることを示す意味があります。しめ縄が神の領域と現世を隔てる結界となり、その中に不浄なものが入らないようにする役目も果たします。その由来は、天照大神が天の岩戸から出た際に、再び天の岩戸に入らないようしめ縄で戸を塞いだという日本神話にあるとされ、「しめ」には神様の占める場所という意味があるといわれています。
引用元:しめ縄・しめ飾りの意味と飾り方 | All About
ただ慣習だからとか伝統だからと言って、何も知らずに飾ったり飾らなかったりするのは、なんだかもったいない気がします。夢もファンタジーもないから想像力も使わないし人生をもったいなく使っている気さえしてくる。
どんなことでも、意味を知ってみれば関わり方は180°変わり、世界の見え方も劇的に変わってくるんだから、子どものころから物事の意味に触れる機会がたくさんあった方がいいなと思いました。
2.しめ縄を作るための材料はどこで生まれたものか?が大切
しめ縄用はいつも町内で作られているお米のワラを使って作られます。しめ縄を地元でとれた材料で作る。。。これとっても重要ですやん。
その土地の風土や文化の中で育った作物って、そこで生活している人たちと同じ土や空気で育っているワケです。よく考えれば素敵なつながりですやん。
昔から日本人は土地神を信じていて、たった1人の神様ではなくたくさんの神様がいると信じていました。神道ですよね。神社がそこかしこにあるのはそういうことですやん。
で、ぼくは神様はいると信じていて、そういう神様を信じるとすれば、その土地の作物も人も同じ神様のおかげでありがたく生きているワケなんですやん。そんなつながりを持ったモノ同士で作りあげたしめ縄ってなんかプレミアム感ありますやん!笑
これを感じながら結構感動したんですよね。単純なんで。笑
その土地でとれた作物で、そこで生活している人が作るしめ縄ってところがとっても重要に思えてきたんですわ。
3.人の優しさとつながりの嬉しさに気づく
しめ縄づくりにはお米のワラを使うのです。ぼくは役員になりたてで町内にまったくコネクションがなかったので準備するものも、しめ縄づくりの先生をやってくれる人も、開催場所や時間や形態もよくわからないまま、がむしゃらにやってみたのでまー面倒なことがたくさんありました。
でも、人伝いに先生を探している時に、とても素晴らしい出会いがあったのです。
普段は花を育てたり野菜を作って販売しているおばあちゃんなんですが、子どもの行事にとても協力的な方でして、、、
他でいただいたワラを持って行ったら、「コンバインで刈ったワラだとしめ縄キレイにできないから」と言って、自分のところの田んぼで手で刈ったワラをたくさんくれたんです。
で、しめ縄に使うためにはワラについている余計な部分を鋤く(すく:取り除くという意味)作業をしなければならず、指導してくれながら一緒にやってくれたんです。
しかもしめ縄教室当日に、会場まで持ってきてくれる上に、直前にお湯につけて柔らかくしておいてくれるというのです!なんということでしょうか、、、
さらにさらに、ですよ。
帰りに自家栽培しているキャベツやら大根やらブロッコリーをたくさんくれたんです。
、、、もう言葉になりません。感動して涙が出そうでした。
たまたまタイミングがあっただけかもしれませんし、こんな出会いはそうそうないのかもしれません。ただ言えるのは、人のいるところに出て行かないと、こういう涙の出るような感動や、人の優しさに触れることはできないということ。
傷つくこともあるけれど、勇気を持って行動すれば、その先には素晴らしい何かが待っている。
しめ縄教室のおかげで、そんなことを感じさせてくれる出会いをもらえました。
<参考記事>【地域活動】育成会の役員になった人が持つべきたった1つの心構え。
4.しめ縄づくりは心地よい
二種類のしめ縄を作ったのです。
これは比較的簡単にできました。
と、何度もやっているうちにわかってきたー!
ぼくのやり方は、まず左手を上から下にスライドさせるようにヨッて、
2本の束の下になっている方を左側から右側へねじっていくんです。
とやっていくとそれなりに形になりました。
集中しました。何かに没頭するのって気持ちいいですよね。
まとめ
ぼく的には「いつもやっているし、やらなきゃいけないだろうから、ただやった」というわけではなく「なんで必要なのか考えて、必要性を感じて、自発的に行動した」感じです。結果、参加された皆さんはどうだったかわかりませんが、とても良い場になったと自己満足しています笑。
思うのは、結局は「やりたいと思ったからやる」というのが全てであるということ。
慣習や伝統に引っぱられて、イヤイヤ仕方なくやったことには何の価値も生まれない。
でも、「やりたくてやった」ことには、少なくともやった人の欲求が少しは満たされますし、それでもし一緒にやった人が喜んでくれたならより大きい満足感が生まれ、広がっていきます。
よく、「みんながやりたくないことをやらなくなったら、世の中回らなくなる」的なことを思っていましたが、「無理してでもやらなきゃいけないことなんてないんじゃないか」と最近は思うようにしています。
「いつもやっているんだから、それはやるべきだ!」なんてことを言ってくる輩がいるのだとしたら、本気で必要だと思っているその輩たちが自分でやればいいのです。でも大抵やりませんよね。周囲から口を出してくる輩は本当に自分勝手なのです。
無責任な人たちの言葉に振り回されるのはもうやめにして、自分が必要だと思ったこと、大切だと思ったことを大切にしよう。自分の内側から湧き出てくる「これがしたい!」という想いに耳を傾け、力を尽くそう。
ちなみに、、、こんなでかいしめ縄も頑張れば作れそうだというのがわかり、来年やってみたいなと思っていまいました。笑
それではー!