で、島には自由があるような気がして、島の生活に憧れて、夏旅でちょっくら島に行って確かめてみようということで能登島に出かけたわけです。
<参考記事>果てしなく広がる海と空。「島には自由がある」というのは本当か?というわけで今年の夏旅のテーマは「島」にします。
島には自由があるのか?ドキドキワクワクしながら到着した場所には、素晴らしい景色や雰囲気が味わえるという意味では非日常的な最高の経験がありましたが、目の前にある選択肢は、いつもと変わらぬ当たり前のものでした。
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自由とは雰囲気ではなく「選択」である
島に感じる自由とは、雰囲気のことです。
海の開放感と、何者にも邪魔されぬ領域がそこにはあるような気がするのです。
ですがそこにあるのはフツーのいつもの「選択」です。
空腹になればコンビニにいき、足りないものがあればお店を探し、楽しむためにオススメスポットに向かい、汗を流したくて温泉を見つけ、遠くに住む誰かのためにプレゼントは何にしようかと考える。
雰囲気に自由を感じますが、やっていることはいつもと同じなのです。
自由とは環境ではなく自分の心(在り方)である
「どこどこに行ったから自由!」とか、「なになにができるから自由!」というものではないということに気づきました。
・すでに持っているものや今ある環境をどのように使うか?
・実現したい未来はどんなものか?
・その未来を実現するためにどんな方法を試してみるか?
・今日どのように生きるか?
・制約をどうやって振り切るか?あるいは使うか?
極論すればすべて自由です。
自由がない!と叫んでいるうちはやっぱり自由にはなれなくて、「今ここにあるもの」に気づかなければ自由にはなれないということです。
<参考記事>「自由って言葉に振り回されてると自由にはなれない」という嫁さんの言葉が凡人のぼくには響いた件。
みんな自由である
だから、本当はみんな常に自由なのです。
開放感を味わえる場所で過ごすことはとても心地良いので、その場所に自由があるような気がしてしまいますが、そういう心地良い場所に住むか住まないか、選択する自由は自分の手の中にある。
言い訳をしている人は、そこに踏み出す勇気を持てない自分を選んでいるだけ。
まとめ
最近自由の意味がちょっとだけわかってきました。
日常にある自由をもっともっと満喫しようと思います。
それではー!