先日、三重県にある伊勢神宮に行ってきた。
伊勢神宮は「唯一の神宮」ということで、本当は「神宮」と言うそうだ。お伊勢さんとも呼ばれたりする。
伊勢の神宮には内宮(ないくう)と外宮(げくう)とあり、なぜかは知らんが最初に外宮からお参りした方が良いらしいので、2016/6/9に伊勢市駅から「外宮」へ。
なんで外宮からなのか、お参りしたらわかるかと思ったが、いまだに理由ははっきりしない。
途中、「菊一文字」の看板がある包丁屋?刀屋?が興味を引いたので入店。
そこには「神話占合」という面白そうなものがあったのでやってみた。
神話から目の前の現実への教訓を得る占い。
自分にぴったりな教えでビックリした。
お伊勢さん、外宮到着
「一体ここはなんなんだ?」という衝撃。
入り口からスケールの大きさを感じさせる。
入ってみた
もっと入ってみた
とまあ、こんな感じだった笑。
まとめ
人がたくさんいたし、スーツ姿の方々の50人くらいの行列も見たし、大木だし、メインのお参りする場所は手前までしか入れないし、奥には何やらありがたそうな建物があるし、、、
しかも、20年に一度「式年遷宮(しきねんせんぐう)」というものがあり、建物をすべて建てかえる儀式をかれこれ1300年もやっていたり、神様にお供えするご飯を作る「日別朝夕大御饌祭(ひごとあさゆうおおみけさい)」という毎日朝夕のお祭りを、かれこれ1500年続けていたりする。
とにかくスケールが大きい。
未熟なぼくにはまだうまく受け止めることができなかったが、感じたことは一つ。
「人間が作ったものよりも、自然が作ったものの方が意味が深いんじゃないか?」ということ。ものの見方がわかっていないんじゃないか?という気持ちになってくる。
小さな視点で見ていると、正しいもの間違っているもの、良いもの悪いもの、みたいなものが無限に生まれてくる。
だけど、これくらい大きな視点で見れれば、すべてがそうなるようになっていて、すべて正しいものなんじゃないかと思えてきたりする。
1500年の間にたくさんの人に伝えられ、続いてきたことがあり。
人がどんどん変わっていっても、続いていくものがあり。
「ずっと続いている」ということのエネルギーを感じたと同時に、緩やかに確実につながっていくモノとそうでないモノの差はどこにあるのだろうか?という新しい問いが生まれた。
これは入り口の鳥居。帰り際の一枚。
わかりにくいかもしれないが、是非、最初の方の写真と見比べてほしい。
今にも雨が降りそうだったのに、出るときには空は晴れ渡っていた。
FBのメッセージでお師匠より「気分によって天候が変化する場所だから、感じてみてください」と言われていたので、なんだか背筋がゾクゾクした笑。
事実として、「行きは曇り、帰りは晴れ」「気分によって天候が変化する場所と言われた」。
解釈は自由。でも、勘違いと捉えるか、そういうこともあるのかもしれないなと思うかは、行って体感しないと見えないこともある。
とにかく不思議な場所でした。
それではー!