「自由って言葉に振り回されてると自由にはなれない」という嫁さんの言葉が凡人のぼくには響いた件。

 
みなさん。ぼくはね、「自由」になりたいんです。
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好きなことを、やりたいように、力尽きるまでやりたい。
みんなそう思ってるんじゃないかと思うんです。
そんな風に、人の目を気にせず、誰にも縛られずに生きることができたら、どんなに素晴らしいだろうか。

 

でも凡人は、そんな状態を妄想してはしがらみのある現状と比較し、焦り憤り、現状に甘んじて、うなだれます。

 

でも諦めきれないので「自由になりたい!自由自由自由!自由サイコー!」
と叫んでいたら嫁さんに、

 

あんたね、毎日毎日自由自由ってうるさいわ!
自由なんて言葉に振りまわされてたら、自由にはなれないわよー!

 

と、一喝。
いつもは嫁さんをバカにしているのですが、この言葉はぼくにとっては深く突き刺さったんです。
 

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そもそも「自由」ってなんなの?

 
「自由って何?」と聞かれると、「ウへーッ!」ってなります。
実際に嫁さんに聞かれて、ぼくは自分自身の「自由な状態」をすぐに答えられませんでした。
 
苦し紛れに出したのは、「情熱・喜び・楽しみ・哀しみ・怒りを素直に純粋に表現できる状態」という言葉。これ、考えすぎるとらちがあかないのですが、自由という状態が定義された時点で自由ではない気がしてきました笑。
 
自由ってなんなんだ?

 

 

子どもの自由をさえぎる存在

 
たとえば、子どもを見ていると自由だなぁ~って思うときがあります。
子どもの遊びの中には自由の匂いがありますね。
 
遊んでいるときの子どもは、思ったことを実現するために素直に動き、それができないときすぐあきらめる子もいれば、こだわってできるようになるまで続ける子もいる。
 
大人は、力尽きるまで全力で自由に遊ぶ子どもをながめてうれしくなる人もいれば、子どもの自由から生まれた行動ややりたいことを実現する手助けをうまくできる人もいて、「そんなことしてちゃ世の中渡っていけない」と子どもの自由を奪う人もいます。

 

自由な行動をさえぎる人は、「自由なんてない」と思っている人。
目の前にある物事を選択する権利は、自分たちにはないと思っている人です。

 

 

自由とは「選択する」ということ

 
ここまで考えてみて、自由とは「目の前にある物事を自ら選択できること」だとわかりました。
 
目の前にある、楽しいことと楽しくないこと、興味があることとないこと、辛いことと怠けられること、自分の未来につながることとその場しのぎのこと、、、日々ぼくたちは何かを選択しています。
 
それってよく考えると「自由」なんですよね。
何を選ぶかは、ぼくらのこの手に委ねられています。

 

それを選ぶときに、
「いやいや!会社がそれをやらせてくれないし!」
「それを選ぶとリスクが大きくて大変やん!」
「家族がいるから無理やし!」
「もう家買っちゃったやん!」
とか言って、現状に甘んじることを選んでいるのは紛れもなく自分なんやで!

 

つまり、ぼくらはそれぞれ持っている自由を行使しているということになります。

 

 

まとめ

 
自由って、自分の好きなように選ぶことなんですよね。で、毎日毎日出現する人生の分岐点で、ぼくらは自由に選択しているんです。

 

自由は、常に自分の手の中にあるということ。
目の前に立ちはだかる何かに言い訳をしているうちは、「本当の自由」はわからぬまま。

 

それではー!

 

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。