たった今、名古屋に着きました。今から伊勢神宮に向かいます。
これを「36歳無職における最後の旅」にしようかと思っています。
無職祭り
先日、ハナラボを退職した吉澤さんが開催した、「無職祭り」に参加。
昼間からビールを飲み、自分の現状をさらけ出した。
このオシャレなビアガーデンを作ったのはネイボの店長、池上幸恵さん。
これは食季cafe展さんをやっている石川さんの差し入れのフルーツポンチ。超うまかった!
このお祭りのおかげで、ぼくは結構「真面目な無職」であることがわかった笑。
無職と言っても一応ロボット教室は運営しているし、かなり規則正しい生活をしている。ぼくはまったくぶっ飛んでいない無職であることを実感し、逆に恥ずかしくなり、正直実にがっかりした笑。
夜の部は15人くらい参加していたかな?
中には東京から信州上田まで来てくれた方もいて、無職という言葉にはある種の力を持っていることを確信した。
後ろめたさ
「無職」というと世間的には堂々とできないイメージがあり、後ろめたさがある。
そのイベントに来ている人の中にも、「親の目が…」とか「ご近所に見つからないように…」という発言も確かあった。
ぼく自身、春先の平日夕方まだ明るい時間、子どもと一緒にリレーをして遊んでいるとき、ふとご近所の目が気になった瞬間がある。
「平日のこんな早い時間に家にいるって、どう思われているのかな…」とか、ありもしない噂を立てられたり陰口されていないだろうかと心配になったことがある。
正直言うと、その不安は今もある。
「みんなと違うことをしている」という「恐れ」から抜け出せていないのかもしれない。
みんなと違うことをしたくて飛び出したのに、おかしな話である。
気づき
無職祭りで、ミュージシャンのささきりょうたさんが自身の経験談をこんな風に語っていた。
仕事を辞めて何もせず、毎日「徹子の部屋」をつけて窓際でタバコを吸っていた。
6ヶ月くらい経ったある日。いつものように徹子の部屋をつけて、徹子の声を聞きながらタバコを吸っていたら、ふと、「あれ?オレって自由じゃん!何でもできるじゃん!」って気づいて、そこから人生が逆回しに回転しはじめた。
※思い出して書いているので許せない間違いがあったらご指摘ください
また、東京の高円寺でカフェ「Cafe gallery mo mo mo」をやっている桑原由理さんという方は、こんな話をしていた。
無職になってやることなかったけど、結構楽観的だった。
今までの自分なら焦って不安でどうしようもなかったと思うけど、その時はなぜか落ち着いてた。お菓子作りが好きで、高円寺のカフェにお菓子を作りに行っていたら、たまたまそこのお菓子を作るスタッフが辞めるということで働くことになった。
しばらく働いていたら、そのカフェのオーナーが「移住するからカフェを閉めようと思う」と。で、その時「このカフェ続けてみる?」と言われ、今カフェを経営している。カフェが降ってきました!笑
※思い出して書いているので許せない間違いがあったらご指摘ください
桑原さんは無職になることを熱くススメていた。坂爪圭吾さんの「奇跡は余白に舞い込む」という話を思い出した。
そしてぼくは、その無職祭りの真っ最中に、お師匠から「神のお告げ」のような言葉をいただいた。
その日は忘れられない1日になった。
現実を生きる
「組織から飛び出して、言われたことをただやるんじゃなく、自分のやりたいことをしながら生きていくんだ!」と威勢良く出発したはいいが、2ヶ月経った今でもまだ自分の「本物の仕事」を見つけられてはいない。
今は、これまでの延長線上では考えられない経験をしていて、内面的にはかなりの変化が起こっていることに間違いはないし、3ヶ月前とはまったく違う世界に生きている実感がある。
ただ、内面が変わったからといって食っていけるわけではない。
この2ヶ月は現実から逃げていたんだなぁということが、最近ようやく判明した笑。
まとめ
だからこれは「36歳無職最後の旅」にしようと思う。
この旅でみつけた「事実」を元に、ずっと変わらない無意識の「クセ」を見つけて、捨て去り、前に進むための足がかりにしたい。
ここで言っているぼくの「職」の定義は、「定職に就く」とかそういうことではなく、「どうしても力になりたいと思える人を見つけ、その人から喜ばれる仕事」をすることだ。そして、仕事というからには、自分の生活が余裕を持って回っているのが大前提だ。
変化を楽しむ気楽さと、やるべきことを逃げずにやる覚悟を持って、信州上田に帰ります。
皆さんも今日をお楽しみください!
それではー!