「人が集まる場所には、魂が宿っている。」
と、あるお坊さんみたいな人に教えられました。
その意味がわかってきたので書いてみます。
自然には「場」をつくれない
ぼくの住んでいる長野県は美しい自然に囲まれた素敵な場所です。
空は毎日多様な彩りを魅せてくれ、力強く天に向かって立ち昇る木々、神々しく生い茂る森、人智を超えた怖れさえ感じる山や川。自然の中にいると、時間が緩やかになり、心が癒され、生活が良い方向へチューニングされていく気がしてきます。
でも、そんな素敵な自然に囲まれたところでも、人が集まる場に生まれる「空気」や「タマシイ」によっては人の心をむしばむこともある、というのが最近の気づきです。場に込められた「タマシイ」は、人に大きな影響を与えます。
怒っている人がいれば、その場にいる人たちの波長を細かくて浅いものに変えて落ち着きを失わせ、自分は何も持っていない不幸を背負いこんだ悲惨な人間だという悲しい想いは、大切な人の足にからみつき、動きを鈍らせる。
不安で不安で仕方がない人は、周囲の人もその不安の暗闇の中に連れて行こうとしています。
自然は人間の生活をチューニングしてくれるスゴイパワーを持っていますが、自然には「場」をつくることはできません。どんなに素敵な自然に囲まれていたとしても、自分の心が安定した状態でいられるか?は、一緒にいる人やその場をつくっている人の「想い」に、影響を受けるのです。
この場所にどんなタマシイを込める?
会社でも、飲みに行ったお店でも、通勤の電車の中でも、休日の温泉でも、朝のコンビニでも。
人が集まる場所には、なぜだかそこにそのタイミングで「集まった人たちの思っていること」によって独特の「空気」ができあがります。ぼくはこれまで、無自覚に無意識に様々な場に存在していましたが、ぼくもその場をつくっていた一人だったのです!なんとまあ!笑
なにもその場を引っ張る人、目立つ人が場をつくるわけではないんです。
影に隠れている人から自己主張をわめき散らしているまで、その場を形作る一員です。
人の心に良い影響を与える場をつくるのは、自然の力ではなく人の想い、つまりそこにいる人たちが「この場所にどんなタマシイを込めるか?」なんだとわかったら、視野が広がり、自分にもやれることがあるなと思えてきました。
まとめ
無自覚に自分が他者に影響されていいのか?自分の出す「空気」で、その場にどんな影響を与えるのか?
「人が集まる場所には、魂が宿っている。」ということを知っているのと知らないのでは、大きな違いがあります。冗談抜きで、それだけで人生変わっちゃう感があります。
1人でたくさんしゃべってしまったり、大きな声で相手をビビらせたり、何も言えなくなったり、その場から離れたいと思ってしまうときは、心に不安がある状態です。そんなときは、「この場所にどんなタマシイを込めたいか?」を考えると少しは落ち着いてくるんじゃないかと。その上で、「ここにはいたくない」「自分がこの場でしたいことはない」と直感的に判断するのなら、そこから去ればいいだけです。じゃーねーバイバーイ!って軽いノリで笑。
でももし、そこが大好きな場所なら、その場には必ず自分にできることがあります。
そこにあなたがいる大きくて深い理由が、間違いなくあるから。
「自分」という誰とも違う1個人の1人ひとりが、「この場にどんなタマシイを込めたいのか?」を真剣に考えはじめると、そこはどんな場所になるのだろう?期待とか希望が膨らんでくるのはぼくだけでしょうか?
行動
人が集まる場所には、必ず何かしらの「タマシイ」が宿っているので、例えば、
「このコンビニには、どんなタマシイが宿っているのだろう?」
「この飲み屋には、どんな人たちが集まって、どんな場になっているのだろう?」
と、その場にいる人や雰囲気から感じてみることからはじめます。
はい、それではー!