5/31の朝5:30頃。
どこかで何かを燃やしているような焦げくさい匂いのする、ぼんやりとしいていて清々しい空気の中をランニングした。
3kmほど走ったところにある森の中で、ウグイスのいつもの清々しい鳴き声が聴こえる。
ランニングを終えて家に着いた時に、地域の子どもたちと一緒に育てることになったサツマイモに水をあげていなかったことを思い出し、ぼくの相棒であるピンクの折りたたみ自転車に乗って畑に出かけた。
行く途中、田んぼの前の道路でケモノらしきモノが横たわっているのが目についたのだが、何もないかのごとく素通りした。
いつもそうである。車を運転している時に道端でケモノが死んでいても、極力見ないようにして通り過ぎる。
なんといってもぼくは「死んだケモノ恐怖症」なのだ。怖くてみることもできないし触るなんてもってのほかである。
帰りに同じ場所を通った。
案の定、仏様が横たわっている。
気になってしまい、少し観察してみた。仏様が横たわっている反対側の歩道に血が流れた跡がある。
車に跳ねられて、最後の力を振り絞って道路を横切ったのだろうか。
仏様は、ほんのわずか、歩道からはみ出していた。
「もし前をよく見ないで車を運転してる人がいたら、ひいてしまうかもしれない」
と思った。
保健所に電話をする。
誰も出ない。
周りに某などはないか確認する。
ない。
足で道端に寄せるか?
いやいやそれは失礼だ。
と自転車を置いて、スマホを握りしめながら、田んぼ道をあっちに行ったりこっちに行ったりしていた。
とにかく、気になったことをそのままにしておいてはいけないと、その時は思っていた。
ついに意を決して、仏様の体を触ってみた。
と言っても、毛をつまんだだけ。
もう動かないだろうに、いきなり動き始めるんじゃないかとビビりながら、触っては逃げ、触っては逃げ。。。
そして2度目に意を決して、毛を引っ張り、道端の車にひかれない位置に仏様の位置を変えることができた。
これは快挙なのだ。
死んだケモノを触るのはたぶんはじめて。
でも、そのままじゃいけないという気持ちが勝り、触り、動かすことができた。
まとめ
訪れたのは、
「何かが変わった」
と興奮するわけでもなく、
「今までやってこなかった当たり前のことがやっとできた」
というような安心だった。
特別な毎日の連続は、何でもない当たり前の積み重ねなのだとわかった。
おわり。