いやー、、、終わっちゃいましたねぇ。
大人の夏休み、サラリーマンのためのお盆休みが。
休ませてもらえなかった!というブラックな企業にお勤めの方もいらっしゃれば、休みを交代でズラして取るタイプの職種の方もいたり、たっぷり休養させていただいた!という方もいらっしゃると思います。
ぼくなんかは8/8~16までお休みをいただき、夏休みを満喫しました。
ありがとう!会社!ありがとう!みなさん!
ゆっくり休養して、遊んで、充実した夏休みを過ごして、溜まってたストレスと疲れを一掃リフレッシュしました!
さあ、今日からまた仕事がんばろー!
・・・・・
ってその感覚、マジやばいっすよ
「うんうん。そうだよね!がんばろー!」
「なんだと!いいなあ~うらやましい、、、」
なーんて思った方。ちょっと待ってくれ。
その感覚、凡人サラリーマンの末期症状が出ているので要注意ですよ。
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それは自分を失いはじめているというシグナル
ぼくと同じような感覚を持った方は、自ら「仕事をしている」「働いている」「それらを通じて世の中に貢献している」というわけではなく、なにかに「仕事をさせられている」「働かされている」「やっていることに自分勝手に意味づけをして、世の中に貢献していると信じたい」という末期に近い症状が出ています。
なにかに突き動かされてやりたくもない仕事をし、いやいや働き、自分で自分を正当化するためにその意味や価値を勝手につけはじめるのです。なにかとは、常識だったり思い込みだったり生活だったり家族だったり権力だったり社会的地位だったりと、人それぞれでしょう。
「休みバンザイ!」のシグナルを受け取ったということは、あなたはなにかに動かされているということです。毎日がストレスにまみれていて、休みでリフレッシュをするために働く化現象に陥っているのです。
だって、完全なる自分事でやりたい仕事に取り組んでいる人にとって、休みというのははそのやりたい仕事を続けていくための精神的肉体的休養なはずで、仕事ができることが嬉しいハズですから。それはもう仕事と遊びの境目がわからなくなっているという最高の状態です。
それとは真逆に休みバンザイシグナルを受け取ってしまったあなたは、自分は何を求めているのか?なんのために働いているのかわからなくなる寸前であり、自分自身を見失っていくという出口のない迷路にはまり込む一歩手前に立っているということです。
「休みのために仕事をする」という苦しさ
ぼくのようにお盆休みが終わってうなだれている人は、大小ありますが間違いなく能動的に仕事をしている人ではありません。
上にも書きましたが、そもそも休養の捉え方がまったく違います。
「やったー!」とか「終わっちゃったー、、、」とか一喜一憂するものではないハズ。
嫌な仕事を割り切ることもできず、現状を変える勇気もなく、本当の自分の感情には目をつぶり、ストレスフルな日常をなんとかやり過ごし、待望の休みがきたら周囲に優しくできずに自分を癒すことに集中する。
我ながら、このサイクルは本当に苦しいと感じるこの頃です。
「こうしなければいけない」というまやかし
このようになっていってしまうのは、社会の常識に突き動かされているせいです。
仕事・結婚・家族・会社・お金・人間関係・年齢・地位・生活・教育、、、
いままで当たり前と思いこんでいた幸せへのレールをそのまま走っていると、世界は「こうしなければならない」「こうしなければ意味がない」で埋め尽くされてしまい、本当は自分はどうなりたいのか?がわからなくなっていくんです。
目の前にある世界はまやかしだらけ。
ぼくらは間違いなく、作られた常識にとらわれて疲弊しています。
まやかしにとらわれて自分を見失わないようにしなければいけません。
凡人サラリーマンに不足している心構え
他人のつくった常識におどらされ、常識的には絶対に手に入れなければ幸せになれないような感覚になり、仕事や働き方すら常識でとらえてあきらめ、他人に人生を明け渡しながら生きていく・・・
こんな人生どうですか笑!
ぼくたち凡人に絶対的に不足しているのは「人生の主導権は自分にある」という心構えでしょう。
まとめ
うまくいかないことはすべて誰かや何かのせいにして、ストレスを食らい、アメちゃんをぶらさげられて走り、生きるのではなく、自らの喜びに向かって突き進むような人生を。
自ら選び、人と違うことをすることに恐れることなく、喜びを感じる自分を追求する人生を。
それではー!