photo credit: Thomas Hawk via photopin cc
立て続けに浅田真央関連投稿ですが、なにか笑。
浅田真央さんはソチオリンピックの女子フィギュアショートプログラムで思うような演技ができず、一度は絶望のどん底に落ちたのではないかと想像してしまいます。
これは、メディアの方々がスケートを盛り上げようと、彼女のオリンピックまでの姿をドラマチックに映し出したことで、日本中が彼女に過剰な期待を寄せてしまい、結果、彼女の落ち込んだ背中を必要以上にかわいそうに思わせただけかもしれませんが。
それはまあそれとして、人間、大きな失敗をすればもう一度同じ舞台で自分を表現することに恐怖を感じるのではないかと、素人的には思います。しかも彼女に向けられていた期待の眼差しは強くて重かった。
失敗をすぐに忘れてしまう、人の期待をまったく感じないような「鈍感力」の持ち主であれば話は別ですが、彼女はスケートの技術はスゴイけど、根はごくごく普通の女の子に見えるのできっとそうではないはず。違えばこのあとに書くことは「何言ってんだおめー」って感じになってしまいますが、とにかく「根はごくごく普通の女の子」と仮定して書いていきます。
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彼女はフリースタイルの演技が終わったあとのインタビューで「私なりの恩返しができた」と言っていました。
私みたいな未熟者がこの「恩返し」という言葉を使う場合は、本当はそうは思っていないくせに良いことを言いたかったり、カッコつけたかったり、謙遜する振りをしてただ照れ隠しをしたかったりしてるだけです。
だけど、本物のアスリートから発せられたそれは「ホンモノ」です。
彼女はショートプログラムで(おそらく)どん底に落ちたけど、そのままダークサイドにとどまることなく崖をはい上がったことで、ホンモノのアスリートに変化したのだと思います。
崖をはい上がるために力をくれたのは、たくさんの温かい人達の応援であり、その人達がいつも力を送ってくれていたということに気づいたのかもしれません。もしかしたら、彼女は自分の母親が送ってくれた力を思い出し、母親のために自分を奮い立たせ、氷のステージに立ったのかもしれませんね。
忘己利他(もうこりた)という言葉があります。
瀬戸内寂聴さんが金スマで「人生とは?」という質問に対して答えていたのを以前聞きました。
詳しくはこちら
→人生うまくいかないと思ったら、瀬戸内寂聴さんの「もうこりた」をマネるべし。
自分を忘れ、自分以外の誰かのために力を尽くす、という自然に発生する貢献の精神が、大きな力を呼び覚まし、観ている人を魅了する表現になるのではないかと思います。
先ほど書いたように、未熟な私はまだまだ「貢献」を言葉で発することが精一杯です。
その意識を、たとえ偽りでも持ち続けることで辿り着けるのか、それとも自分の欲求を満たすことを極めることで辿り着けるのかは、よくわかりません。
見返りを期待したりするのではない自然発生した忘己利他(もうこりた)を自分の中に捉えたときに、信じられない力を呼び覚まして、多くの人の心に感動をもたらすのかもしれません。
昨日も書きました(浅田真央がソチオリンピックのショートプログラムで良い演技ができなかった本当の理由。)が、彼女が今回のソチオリンピックを通じて得たものと多くの人に与えたものは、金メダルよりも価値があると私は思います。
ソチオリンピックのフリースタイルでの彼女の表現は、多くの人のエネルギーに変換されたのではないでしょうか。
あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!