本日(2014/2/21)は浅田真央さんの話でもちきりですね。
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彼女が今回のソチオリンピックショートプログラムで、本人が納得できる演技がなぜできなかったのか?それは「なにかが違った」という演技終了後のインタビューに答えた言葉がすべてを言い表していると思います。
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なぜ彼女がソチオリンピックSPで良い演技ができなかったのか?を私なりに考えてみると、15歳にしてグランプリファイナルという世界の大舞台で優勝し、絶頂期に金メダルを期待されつつも、国際スケート連盟だかなんだかの年齢制限規定によりトリノオリンピックに出れなかったことが原因だという結論に至りました。
彼女はそのときから無意識のうちにオリンピックに対して異常なまでのこだわり・執着心を持つようになった。そしてそのこだわりや執着心が、彼女の体に絡みつき、「なにかが違った」と思ってしまうほど動きを鈍らせたのではないかと私は思います。(あくまで個人的な見解です。)
また、オリンピックには魔物が棲むというのは、なにか不運な出来事や予期せぬ事態が発生したときによく使われる言葉で、金メダルを取った人には決して使われない言葉。
「オリンピックには魔物が棲んでました!だけど私は魔物をやっつけたので金メダルを取れたんです!」なーんて言う人は聞いたことがない。金メダルを取った人はそもそも「魔物がいないステージ」で自分を表現した人なのです。
つまり、魔物を見たアスリートは、魔物のいるステージに自ら足を踏み込んだ人なんです。自覚がないまま足を踏み入れ、その途端に魔物の存在に気づき、体が動かなくなってしまう。
金メダルを取るためには魔物を退治するのではなく、魔物のいない場所で自分を表現することなのではないかと、ソチオリンピックの彼女を見ていて思いました。(想像でしかないけど。笑)
フリーの演技をライブで見たわけではないけど、滑り終えた後の涙には心を打たれ、笑顔は晴々していて気持ちよかった。きっとあのリンクでは魔物とは出会っていない。
彼女は、魔物のいないステージへ行く方法を、自らの演技で教えてくれました。その方法は、目の前の演技一つひとつを、確実に、正確に、積み重ねていくことです。フリーの演技は、テレビ越しに見ているこっちにも他の音が耳に入らなくなるほどの集中した空気感が伝わってきた気がします。
メダルは取れなかったけど、見ているたくさんの人に感動を与え、ドラマを魅せてくれました。
色んな意味で、こんなに心に残る演技は今まで見たことがない、と多くの人がおもったのではないかと思います。
メダルを取ることにこそ価値がある、というこだわりとか執着心を持っている人には分からないかもしれませんが、私は彼女の表現したものはメダルを取ることよりも価値があるものだと思います。
きっと浅田真央さんは、4年後のオリンピックにも出場すると思います。
またドラマがある。そんな希望を心に抱き続けながら、明日に期待しながら眠りにつきます。
あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!