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この前読んだナルトというマンガの中にこんな一節がありました。
ナルトから学んだこと
生きている間にできる事はしれてる。だから先のものに託していく。
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ビジョナリーカンパニーから学んだこと
で、会社の先輩から借りた「ビジョナリーカンパニー」というビジネス本の中に、「優れた経営者は時を告げるのではなく、時計を作る」というようなことが書いてありました。
これの意味するところというのはおそらくこうです。
先見の明があり、能力も高く、強いリーダーシップを持っているリーダーが、適時的確に今やるべきことを自分で組織内の人間に伝えるという方法では、そのリーダーがいなくなった瞬間にその組織は方向性を失い崩壊への道を歩み始める。
しかし、長期的な視点に立ち、その組織・会社がどうなっていて欲しいかを考えてみると、自分はいつまでも仕事をすることはできないし、生きているうちに自分にできることなんてたかが知れているんだから、私がいつまでも時を告げていてはいけない。
仮に次の時を告げるリーダーを育てたとしても、その人がまたそういう人を育てられるとは限らない。
だから、時を告げるリーダーがいなくなったとしても、共通の「時計」を作っておけば、その組織・会社で働く人は常に迷うことなく正確に、時と共に未来へと歩みを進めていける。。。
という事ではないかと。
家庭と子育てについて思うこと
これら2つのことから考えさせられることは、家庭における親のあり方、子育てのあり方です。
親には、これまでの経験からあーしたい、こーしたい(あーしたかった、こーしたかった)ということが少なからずあるでしょう。また、「こうすればもっと人との関係は良くなるはずだ」とか、「こんな気持ちでみんなが毎日を過ごす事ができれば世界はハッピーになるかも」とかっていうのがあると思います。
だけど、自分以外が関わることすべて(つまりほぼすべてのことになると思うんだけど笑)において、自分が生きているうちに本質的に完結させることなど不可能でしょう。
その場だけ、自分だけそれで良ければまあ可能です。だけど、本質的にはそれが根付いて継続されることが目的なんじゃないか?と最近よく思うのです。
親がガミガミ言っているうちはそういう行動を取るでしょう。言われて気づけばその時は考えるでしょう。じゃあ親がいなくなったら?
私たちはいつか必ず死にます。これは間違いないこと。それに子どもはそのうち精神的にも肉体的にも必ず自立して巣立ちます。これもほぼ間違いないこと。というかそうなるように放り出しますけどね笑。
だから、自分が一緒にいれなくなったあと、自分が朽ち果てて道端に倒れたあと、先を生きる今の子ども達に託すしかないのです。
でも、そういった「自分が大切に思っていて託したいもの」を子ども達に伝えようと思うのはいいんだけど、「あーだこーだ!」と説教がましく押し付けても、子ども達は大切に感じないというジレンマがあります。
子ども達の心や体に大切だと思うことが根付くためには、そういう行動を知らないうちに取ってしまっているという状態、つまり「しくみ」を作って「習慣」にするということが大切なんだと思います。
まとめ
○先を歩いていく人達に「想いを託そう」と思う
○想いを「時を告げる」ように伝えるのではなく、「時計を作る」
これはきっと会社でも家庭でも言えることです。
自分が生きていていつか乗り越えなければいけないことだと思います。
あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!