「自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか」
(ユダヤ教の教え)
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アルフレッド・アドラーという人の哲学について書いてある「嫌われる勇気」という本があります。この本、何回も読み返してしまうほど好きな本なのですが、この本の中に書いてあったユダヤ教の教えがとても印象的で、ずっと心に残っちゃっています。
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で、この前めちゃくちゃ久しぶりに高校時代の友人と飲んだ時に、お互いガラにもなく真面目な話をしたのですが、その時に「なんで仕事をするのか?」という話になりました。それがまた上に引用した言葉にリンクしてスッキリしたのです。
その友人は、「自分のためというか、誰かのためになることが嬉しいから仕事するんだと思う」と言っていました。私もそれには同感で、自分のためだけに仕事なんてできないと思っています。モノやサービスを作ったりお客さんに提供して、その人達が喜んでくれて、その対価としてお金をもらう。それで人がつながって、世界が回っている、それってなんか嬉しい。なーんて思えばやりがいも出てくるものです。
でもよくよく考えてみると、そうやって誰かのために仕事をして、喜んでもらうことが嬉しい!と思うのは紛れもなく自分です。だからまた仕事をしようと思うのです。
つまり、私が思うに、やっぱり究極的には「自分のために仕事をしている」ということじゃないかと。
誰かのために何かをやる方が、自分のためだけにやるよりもエネルギーが出ます。その考えはとても素晴らしいことなのです。
だから、要はどっちが先か?というだけの話なんですね。自分が自分のために生きて、悪いことなどないのです。自分の人生は自分にしか生きられないんだから。
人間は、自分が考えていることを高尚なものだと思いたがったり、何かと自分のやっていることに意味付けするために理屈をつけたりしがちです。だけど自分のために生きているからと言って、うまくその「生きている意味」みたいなものを世界とつなげる方法が今見つけられないからと言って、「自分は自分のために生きているのだ」と思ってはいけない理由などなーんもありません。
だから、どっちが先でもいいんだけど、とりあえず自分のために自分の人生を生きることをためらう必要はないのです。
高校の友人と話をして、本で出会った言葉を思い返して、考えてみて、気が楽になったし勇気が出ました。
あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!