この前、金スマに瀬戸内寂聴さんが出演していたのを観ました。
寂聴さんの人生はまったくイメージとは違い、波瀾万丈で特に男関係がドロドロだったようです。
40代最後に四国巡礼の旅を経験し、それがキッカケで51歳のときにドロドロの人生に終止符を打つために俗世を捨て出家したそう。現在91歳とは思えないほど元気な人ですよね。面白くて思わず最後まで観てしまいました。
忘己利他(もうこりた)とは?
番組の終わりに「生きるとは?」という質問に対して、
今は忘己利他(もうこりた)の精神で生きています
と答えていました。
この言葉の意味は、簡単に言うと「自分のことを忘れ、他人のために生きる」ということ。
その言葉を聞いたとき、「もうこりた」=「もう懲りた」、つまり自分だけのことを考えて生きるのに「もう懲りた」とも聞こえたんです。
私利私欲を抑えることなく、本気で全力で発散してきた結果「もう懲りた」。
だから自分のことを忘れるほど他人の利益を考え、他人のために生きることを始めたのかな、と。
なかなかその境地に達することはできないですよね。良くも悪くも何かを突き詰めていってたどり着く場所なんじゃないかな。少なくとも今の自分には到底できそうもありません。。。
忘己利他(もうこりた)を実践してみる
でも家族を持った人は少なからず自分だけではなく、自分のことのように他人のことを考え行動する瞬間があると思います。
特に子どもに対しては、自分の人生を犠牲にしてでも、その子のためにと行動する瞬間があるはずです。お母さんなんか、子どもを産んだということそのものが自分のことだけ考えて生きていないということですし。
でもそれでも、自分のことを忘れて、人の利益だけを考えることはなかなかできません。
昨日実際に自分のことはなるべく考えないで、家族のことを優先的に考えて1日過ごしてみようとチャレンジしたんですが、、、最後の最後はもう自分のことが何にもできないイライラが爆発して最悪でした。
忘己利他(もうこりた)を実践することで起こる良いこと
忘己利他(もうこりた)とは、つまりコントリビューション(貢献)の精神のことだと思います。本田直之さんの『面倒くさがりやのあなたがうまくいく55の法則』という本にこんな話が出てきます。
信頼関係を築き、人脈を作っていくのは「ギブアンドテイク」や「ギブアンドギブ」の思考ではなく、「コントリビューション(貢献)」の精神なのです。
見返りを期待せず、自分が相手にとって何ができるのかを常に考える。上から目線で「与える」のではなく、同じ目線で「貢献する」。
この意識を持っていれば見返りなど気にならないし、互いに貢献し合う良好な関係を築いていくことができます。いい人脈がどんどん広がっていきます。
見返りを求めないのは、相手のためであると同時に、自分のためなのです。
60ページ「見返りを期待しない」より
瀬戸内寂聴さんの忘己利他(もうこりた)という生き方は、まさに「貢献」の生き方です。
自分のことを忘れるほど、他人のために生きることこそ、生きることであると。他人のために生きることが、結果的に自分のために生きることにつながるということなのではないかと考えます。
自分を忘れて、他人のために生きることが自分の生きる道であるということは、つまりはそれが自分の人生につながっていくということで、巡り巡って自分のためになる、ということではないでしょうか?
忘己利他(もうこりた)で人生がより良くなると考える
私が思うに、人は「自分の人生」を生きることからは逃れられなくて、どんなに他人のために生きようとしてもそれが「自分のため」につながっているのです。
そのしがらみを断つことは絶対にできないんだけど、人のことを考えて生きるとそのしがらみから少しずつ解放され、自分がちょっとだけ身軽になって軽やかに歩いていくことができる、ということではないかと思います。
偉そうにいうことじゃないかもしれませんが、私は自分の人生を生きることをやめるつもりはありません。性格上の問題もあり、きっとどこまで行っても自分のためにしか生きれないから。
だけどこう思いました。
他人を表面的に喜ばすことではなく、その人にどんな「貢献」ができるのか?とほんのわずかでも意識することが、自分の人生をより良くしていくのだな、と。
考え方次第でなんか自分にもできそうな気がしてきます。
真の忘己利他(もうこりた)の境地にはとうてい到達できそうもありませんが、、、人生をより良く生きるために、これからはまず「貢献」の精神を持つことに意志力を使ってみようと思います。
こちらの動画でも「忘己利他」の解説をしていますので、観てみてください。
それでは、また!