細田守監督作品「おおかみこどもの雨と雪」と、ただいま絶賛上映中の「バケモノの子」を連続観賞しました。
続けてみてみて、感じたことについて。
1.生きることが後回しになっている
おおかみこどもの雨と雪を観て、家を買っておいしいものを食べて服を着て楽しいことをするために、辛くても仕事をしてお金を稼ぐといういまの自分の生活は、「ただ生きているだけで、本当の意味では生きていない」と感じたんです。
お金はごくわずかしか持っていなくても、生きることはできるし子どもを育てることはできる。
生きるために知らないことを勉強をし、実際に目の前の世界でがむしゃらに試してみる。
できなくても何度もやる。でも、全然うまくいかない。そしたら誰かが助けてくれる。
助けてもらおうと他人に期待を寄せることはせず、自分自身に期待をしながらやったときに、周囲に人が引き寄せられてくる。
いまの自分の生活では、本当の意味で生きるということが後回しになってしまい、生きている実感を得にくくなっている。必要にせまられることも、必ず達成したいという自らの想いもなく、ただ淡々と毎日呼吸をしてやり過ごしている。
得たいのは生きている実感。
そのために必要なのは、持っている常識をなぞるように傷つかないように生きることでなく、やりたいと思ったことに軽やかに飛びつく行動力と、流れるように、そして必死に生きようとする意志ではないかと思いました。
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2.誰もが心に闇を抱えている
みんな心の奥底にギュッと固めて必死に隠している闇がある。
それは、自分が明るく振る舞ったり、光を浴びることで一瞬消えたかのように感じることもあるのだけれど、でも確実に心の中に潜んでいて、放っておくと少しずつ心に穴を広げていく。
でもそれは、誰もが持っているもの。
本当は、持っていることを恥じることも自分を嫌いになることはないもの。
例えばおおかみと人間、どちらの心も持っているなんて、自分はなんて恐ろしい存在なのだろうと思うのかもしれない。だけどその二面性を、隠して気づいていないフリをしているだけで本当はすべての人が持っているのだと思う。
人間は、光だけ、正しいだけ、美しいだけ、で成立しているなんて単純な生き物ではない。
なにかのキッカケで、自分の心の中にある闇に気づき受け入れることができたときに、はじめて前に進めるようになるんだと思いました。
3.人は誰かの「心の剣」になれる存在である
心の闇が心に穴を広げていきます。
それが止まらなければ、闇に飲み込まれ、自分という存在は消えてしまうのです。
それが、自分ではコントロールできないときだってあるのです。
闇は、自分の力だけでは抵抗しきれないほどの大きな力で飲み込もうとする。
そんなときに、必ず周りに「心の剣」になってくれる存在がいます。
他人に期待を寄せず、自分の人生を自分の意志で、手で、足で、体で、動き回っていれば必ず現れる。
心の穴にスーッと入り込み、いつでも心の闇が膨らまないように抑えてくれる存在が、あなたやぼくの周りに絶対います。
自分も、誰かのそんな存在でありたいと思いました。
4.元気に生きていてくれればそれでいい
ぼくたち大人は子どもに対して多くのことを求めます。
自分の人生じゃないのに、これまでの自分の人生を押しつけたりします。
でも極論、みんな元気に生きていてくれればそれでいいんです。
子どもが生まれたときのあの感覚を思い出すんです。
人それぞれ、複雑な事情を抱えて、それでも生きていきます。
そして、いつか必ず終わりがある。
喜ぶことさえ、傷つくことさえできなくなる時が必ずくる。
だったら、自分の心を周りに合わせて殺さずに、自分が満足いくまでやりたいようにやって、思いっきり喜びを感じたり傷ついたりしながら、カラッと笑顔で元気に前に進んでいればいいんだと思いました。
5.自分の世界の見つけ方
常識をより所にして生きていると、自分の中にあるものなのに、それを受け入れられないときがあります。
自分の心の中にある、深い闇・汚く醜い部分・不完全で恐ろしい部分・他人とは違うように見える部分を、みんなと同じになって安心しようと、必死に否定し、目をつぶり、隠し、捨てようとします。
それらは絶対に捨てることはできないのです。
光も闇も、正義も悪も、美しい部分も醜い部分もあるから、自分なんです。
社会の中で生きていると、常識にそわないものや異質なものは排除される気がしてしまいます。それをついうっかり出してしまって、多くの人に知られることは、とても恐ろしいこと。
自分がそのまま受け入れられないことは、実はとても苦しいことなんですよね。みんな我慢しているだけで。
出せない(と思い込んでいる)部分が多ければ多いほど、世界はどんどん内側に閉じていく。
「そんな小さな世界で生きていたいの?」と聞かれれば、「そんなはずはない!」と本心ではみんな思っているけど、そんなモヤモヤした気持ちも言い出せない人もいる。
みんなそれぞれ、自分にしかわからない、自分にさえわからない複雑な事情を抱えて生きています。
だけど、最終的には自分の世界は自分で見つけるしかなくって、生きている意味は自分で見つけるしかない。
誰も答えを教えてはくれません。
いつかきっと、自分の中にある不完全な部分を「この人になら打ち明けたい」と思える人が世界に必ず現れます。
そのとき、自分を閉じ込めていたクソみたいなくだらない常識がとろけて、ついつい自分を表現してしまう瞬間が生まれるのです。傷つくのは怖いけど、「傷ついてもいいからこの人に受け入れられたい」と勇気を振り絞って心の闇をさらけ出せたとき、この人ならいいや!となれたとき、それが恐る恐るでも受け入れられたとき、自分が生きる世界が見つかるのだと思いました。
まとめ
傷ついてもいいから、心を開いてみようと思える瞬間が訪れたとき、自分の世界を見つけるチャンスなのだと思いました。
生きる力が湧いてくる素晴らしい作品!
観るべし!
それではー!