【IF4KGサマリーサマリー】CANより、WILLで。不安ではなく、希望で動く。

 
先日、第4期イノベーションファシリテーター講座の幹事会に参加しました。
9月に講座が終了しもう3ヶ月経ちましたが、集まりたい!という気持ちだけで人が集まってくるなんて、それだけで素晴らしいことだなと感動してしまいます。単純笑。
<参考記事>【第4期IF講座】ついに9月最終回!想いを見つけ、言葉を磨き、共感でより良い未来をつくるエンパシーライティングがシビれた。

 

最近仕事の悩みが大きく頭をもたげているので、日々を力強く生き抜いているを素敵な先輩方がいる場で自己開示をしちゃえば、いろんなアドバイスがもらえちゃって、人生うまくいくんじゃないか!なんて甘い考えをもって参加しました。

 

場所は、野村さんの会社「フューチャーセッションズ」をお借りして開催。贅沢!
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本当に気楽に、近況報告とか自分が最近感じていること雑談するだけの場なんですが、、、
その日はなんと野村さんもいらっしゃいました!なんて贅沢な!
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と思っていたら、なんとファシリテートまでしてくれました!これまたなんて贅沢な!
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K橋さんがとても素晴らしい話をしているのに、女子聞いてない笑。
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サマリーサマリーと言いつつ、、、自分の感じたことだけ書いてみます笑。

 

 

キミはCANで動くのか、WILLで動くのか。

 
(酔っぱらっててあんまり覚えていないのですが笑)幹事会の雑談の中で印象深かったのが、「CAN(自分ができること)で動く人、WILL(自分がしたいこと)で動く人」という言葉。
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大きく分けると「自分ができること」を誰かに求められたときに差し出して力を発揮し、自分も喜べるというタイプと、とにかく「自分がしたいこと」をすることで満足しながら力を発揮し、結果的に誰かが喜んでくれたらいいなというタイプが世の中には存在するようなんですよ、どうやら。

 

結果は同じようなものなのでどっちが良い悪いはないと思いました。
人によってこれまでの経験で得てきたものも価値観も違うんだから、選ぶ道もどうやって喜びを得たいかも違います。

 

大事なのは、「自分の力を最大限発揮できるのはどっちか?」です。

 

自分にできることを差し出すことが嬉しくて、それによって喜んでもらえることが力になるのなら「CAN」で動けばいいし、やりたいことをやって自分が満足することが嬉しくて、それが誰かの喜びにつながったらなお嬉しくて力になるというのなら「WILL」で動けばいいのだと思うのです。

 

ぼくは先輩方のようなスキルは全く持ち合わせていないのでそんなに偉そうなことは言えませんが笑、具体的な行動につなげていけば、どちらにせよスキルはついてくるもんなんでしょうね。一番大事なのは、「とにかく行動する」ということ。

 

 

キミは「不安」で動くのか、「希望」で動くのか。

 
で、この話を考えているうちに、なんでか知らないけど坂爪圭吾さんの、
 

人間が行動の原動力に出来るのは「不安」か「希望」の二種類しかない。

 
という話を思い出したんです。
 
【PUS-海雲台】「大事な人がいつまでも側にいるとは限らない」ということ。ー 「自分の世界は自分でエクスパンドできる」ということを、言葉ではなく行動や態度で伝えること。

 

もし年金がもらえない未来が来るとしたら、老後のお金が必要だから、、、
もし仕事を辞めたら、お金が定期的に入ってこないから、、、
自分に子どもがいるとしたら、職を失ったら大学に行かせてあげられないから、、、
(お金の話ばっかり笑)

 

不安から、「〇〇をしなければやばい!」「今持っているものを失うなんて考えられない!」みたいな衝動にかられ、自分の行動を決定する。未来に起こり得る可能性の高さを考えて、リスクがないと思われる方を選択しながら生きていく。

 

んー、、、どうなんでしょうかね。「行動につながる」という意味ではスゴいし、予測できる範囲でリスクを潰して無難で波風小さい人生は歩めるかもしれないけど、、、そんな風に生きていきたいかと聞かれたら、ぼくは迷わず「ノー!!」と答える自分でありたい。

 

ずっと不安がつきまとう感じがあります。
不安を消すために行動して、また新たに生まれるリスクに不安になり、安心したくてまた行動する。
なんだか、キツくないですか?笑

 

それより、希望を行動の原動力にするとどうなるのでしょうか?
榎本英剛さんの「本当の仕事 自分に嘘をつかない生き方・働き方」という本にこんなことが書いてあったのを思い出しました。

 

第2次世界大戦時にナチスの強制収容所に入れられた心理学者のフランクルさんの話。

 

家族や仕事、財産、そして来ているものまでそれこそ身包みはがされ、あとは死を待つだけという絶望的な状況の中で、最後まで望みを捨てずに生き延びた人たちに共通して見られた特徴は、皆自分が生き残ることに何らかの「意味」を見出していたことだそうです。

 

たとえば、「自分にはやり残した仕事がある」とか、「自分の生還を待ちわびている家族がいる」とか、「こうした残虐な行為が二度と繰り返されぬよう生き延びて世に訴えねば」と言った意味を見出した者だけが、想像を絶するほどの過酷な状況を乗り越えることができたというのです。

 

これは「希望を持つことは生命にも影響を与える」という事例です。

 

 

また、坂爪圭吾さんはこんなことを言っていました。

 

嘘でも「誰かひとりでも待っていてくれる人がいるはずだ」と信じることが、諦めかけている自分を再び奮い立たせるエネルギーになる。「自分には無理だ」「仕方がない」「縁がなかった」と諦めるにはまだ早すぎることが、人生にはたくさんあるのかもしれない。必要なのは「希望を常に抱くこと」そして「嘘でも希望を信じること」であり、新しい希望が与えられる限り、何度でも人間は歩き出せる。

 
【希望論】「希望が与える力」について。ー 人間を磨耗させるのは「多忙な日々」でも「複雑な人間関係」でも「金銭的な不安」でもなく『希望の欠落』である。

 

このエントリーには希望によって生まれる力について書かれています。
上のフランクルさんの話とほとんど同じで、たとえ嘘だとしても本人が「誰かが待っているはず」と信じていれば、それは生きる力に変わるのだということ。

 

 

まとめ

 
原動力はやっぱり希望がいいですよね。

 

人生、山あり谷ありで、調子がいいときもあれば、どん底の真っ暗闇の中を彷徨う時もありますが、どんな時でも、たとえ勘違いでも、「こんなことをしたい!そうしたらこんないいことがあるはずだ!」という希望を持って行動したいものです。

 

かくいうぼくは、新しい一歩を踏み出す時は不安が次から次へと湧いてきて尽きないのですが、ここに集まっているような力強く前向きに生きている先輩方とお話をすると「あ、できるかも。」という希望をもらえます。不安を煽られるのではなく、どんなに小さくても希望を持って一歩前に踏み出す力をくれるような人とのつながりや場を、意識的に選択しながら生きたい。

 

悩んでいるぼくにオススメしてくれた本。
 
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イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

  • 作者:安宅和人
  • 出版社:英治出版
  • 発売日: 2010-11-24

 

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迷った時は、不安ではなく希望を選択してみよう。
きっと、たいていのことは希望の力で乗り越えられるハズと信じて。

 

それではー!

 

ABOUTこの記事をかいた人

東京都北区出身。 これまでの経験と読書遍歴を活かして、現在は動画制作・コミュニティー運営・速読読書会開催・YouTubeチャンネル運営・オンライン講座を通じて、人が自らの才能を発揮し自由に生きるためのサポートをしています。