「仕事って一体何なんだろう?」と最近よく考えて落ちこみます笑。
いやー暗い!ぼくは根っからの根暗だと気づきました笑。
大阪へ出張中の新幹線の中で、寝ないで(?)真面目に考えたんですよ。
あ、ビールはできるだけ根暗に考えないようにするためのツールですから。笑
ぼくが「本当の仕事 自分に嘘をつかない生き方・働き方」という本を読みながら、「自分の本当の仕事ってなんだろう?」と探す旅の中で気づいたことを書いてみます。
仕事に悩んでいる人の参考になれば幸いです。
仕事に対するぼくのイメージ
仕事ってぼくの中では「生きるために、生活するためにやりたくないことを仕方なくやること」なんだな、と自分と対話をして無意識の中からひっぱり出すことができて、判明しました。
「お金を生まないものは仕事ではない」という無意識は、主婦である妻への態度から良くわかります。
あたかも、お金を稼いでいる方が偉いんだと言いたがっている自分に気づきました。
また、世間もそう叫び続けている気がしていて、その大きな声に導かれてお金になるものとならないものを瞬時に判断するクセがついてしまっています。お金になるものは偉大なもので尊重されるものであり、ならないものは意味のない無価値なものであると思い込んでいます。
この無意識が生まれたのは、他社の目や声に揺さぶられ、人生における一つ一つの大切な決定を他者に委ねてしまうことで、肝心要の「自分」をすり減らしていった結果であるなぁとしみじみ思いました。
「仕事」とか「働く」って本当はどういうことなの?
で、仕事について真剣に考えようと思い、とある高田純次みたいな素敵な人に薦めてもらった「本当の仕事」を見つけるためのこんな本を読んでいます。
本の中に書いてあったんですが、仕事とは「仕える事(つかえること)」と書きます。誰かに仕える事、誰かを助けることは仕事なんです。で、働く(はたらく)という言葉は「はた」を「らく」にする、つまり周囲の人を楽にしようと努力することが働く(はたらく)ということ。
本来の意味を目の前にすると、普段仕事だと思っていることは本当に仕事なのかな?と悩んでしまいませんか?ぼくの心にはかなりグサグサ突き刺さり、考えさせられました。
仕事はお金を稼ぐためのもの?
「お金を稼いでいれば仕事」とぼくは思っていました。
サラリーマンの場合、勤めている会社が大きければ大きいほど、(よっぽど意識してる素晴らしい会社でない限り)「本当の仕事」の意味を感じることが難しくなる気がします。集団になると個々が大切にに思っていることが薄まり、目の前の分岐点における選択や決定は、利益を追求する「会社」という組織によって生まれた風土や文化に委ねられていきます。
会社という人格は、悲しいですが「お金を稼ぐこと」が最優先。その流れで、「仕事とは、お金を稼ぐことである」というのが個々の常識として感染していくんじゃないかと思うんです。ぼくの中にしれっとした顔で居座り続けていた常識、最近違和感を感じている常識、、、
だけど、じゃあぼくたちがもらっている「お金」はどこからくるのか?を再確認してみると、(本当は当たり前のことなんでしょうが)アウトプットとして世の中に提供したものに価値を感じてもらうことで、その価値とお金を交換するからお金が入ってきて、それが巡り巡って給与として個々に渡るという流れになってます。
つまりお金って本来は、誰かに仕えたり「はた」を「らく」にした結果、世の中に貢献した結果、自然と流れ込んでくるもの。
「本当の仕事 自分に嘘をつかない生き方・働き方」を読んだら、仕事はお金のためだけにすることではないんだといまさら気づきました。笑
仕事は、本来は「誰かの喜びや笑顔のためにすること」です。
「きれいごとだ」「生活できなければ意味がない」という周囲の声に惑わされていては見つけられないのです。
じゃあ仕事は自己犠牲によって成り立つものなの?
では、誰かが喜べれば、誰かを笑顔にできるなら、どうなっても何してもいいのか?と考えてみると、、、
「我慢してがんばれば誰かを笑顔にできる」という自己決定によるものならまだわかりますが、例えば「お客さんの笑顔のために身を粉にして働け!」と人に命令して、誰もやりたいと思っていないことを大きな力を使って強制的にやらせるのはもちろん論外。
誰かに喜んでもらい、誰かを笑顔にしたいのなら、まずは自分や身近な大切な人が喜び笑顔になれなければうまくいきません。つまらなくて、他人事で、自分をすり減らしながらも「やらなければ!」と半分強迫観念が入っている人が、他人がどうしたら喜んだり笑ったりするのかなんて、絶対にわからんでしょう。
それに、自己犠牲のもとに成り立つ他人の笑顔は、継続性のない瞬間的なものですし、それを継続できるのは相当な意志力を持った鉄人です。できる人はいいんですが、ぼくのような凡人にはなかなか厳しいお話。
「本当の仕事 自分に嘘をつかない生き方・働き方」より、著者である榎本さんの印象的だった言葉を引用させていただくと、、、
ただ、「仕える」といっても、それが意味していることは自分を犠牲にするということではありません。むしろ、自分という存在を最大限に活かしてこそ他者や世の中のためになると私は考えています。
自己犠牲の上に仕事をするのではなく、何よりもまず先に自分を活かすことを考えることが最優先であると思いました。
まずは自分の喜びや苦しみに素直に反応するところからはじめる
常識にとらわれ、生活にとらわれ、日常にとらわれて、「仕方ないよ」が口グセになってくると、自分の本当の気持ちが分からなくなってくるものです。まずは自分の喜びや苦しみという「想い」に正直に反応することが大事であると感じました。
またまた「本当の仕事 自分に嘘をつかない生き方・働き方」より、印象的だった言葉を引用します。
英語で「情熱」のことを「パッション(passion)」と言いますが、実はこの言葉、もともとの意味をたどっていくと、その語源はラテン語で「苦しみ」を意味する言葉なのです。
これは、情熱と苦しみが実は表裏一体であるということを示唆しており、私が天職を見つけた人たちの研究を通して感じていたこととまさに一致しています。
情熱は苦しみから生まれるということ。んー、、、これ、衝撃でしたが完全に納得なお話でした。
ここから考えて、自分の「想い」に正直に反応するためのヒントは、上にも書いた「仕方ないよ」という言葉が出たときではないかと思ったんです。
「こうやりたい!」とか、「こうした方が良い!」という純粋な想いに、「でも仕方ないよ」がフタをします。苦しみを感じる前に目をつぶってなかったことにしようとする行為。
ぼくは「苦しみ」からの方が自分の「本当の仕事」を探しやすかったです。
もちろん喜びからの方が探しやすい人もいるでしょうしそれぞれ違うと思います。
まずは日常の自分の喜びや苦しみに素直に反応し、そのすぐにでも消えてしまいそうな不安定で危うい感情を、「声に出す」でも、「人に話す」でも、「書く」でも、「(今の感情に合った)歌を歌う」でも、「絵を描く」でも、何でもいいから外に向かって表現することが大切ではないかと思いました。
まとめ:「本当の仕事」の見つけ方
「本当の仕事 自分に嘘をつかない生き方・働き方」を読みながら、「自分の本当の仕事ってなんだろう?」を探究してきて、喜びと苦しみを掛け合わせたところに「本当の仕事」があるような気がしています。
ぼく的には、見つけた苦しみに、喜びを掛け合わせる、という順番がしっくりきました。まだ道半ばですが、書きながら考えていたら何となく自分の想いや考えていることが分かってきました。でも、考えて、決めただけでは、まだスタートライン。
その人の「本当の仕事」とは、自分の想いを大切にして自分を活かしながら、他者や世の中のために何かをすることであり、つまり自分自身が「存在意義」を感じることをすることだと、本を読んで気づきました。
榎本さんが本の中で言っていた言葉で最も印象的な言葉があります。
仕事とは自らの存在意義を探究し、それを表現すること
自分の今の「本当の仕事」を、考えて、見つけて、決めたら、恐れず行動する。
自分にしかできないこと自分を活かせることを探究し、他者や世の中に対して表現する。そのフィードバックを得てまた探究し、表現する。これを繰り返すことでしか、自分の存在意義を確認し、本当の仕事を見つけることはできないということ。
キリストは「人はパンのみにて生くる者にあらず」と言ったそうです。
昔こんなブログを書いていたことも思い出しました。
<参考記事>「お金」か?「志」か?「人はパンのみに生きるにあらず」という言葉の意味を捉え、先入観を捨てよ。
人間はただ単に生活するために生き永らえる者ではなく、それ以上の何かを人生に求める生き者です。
自らの存在意義を感じる仕事を探究する先に、答えが待っているのかもしれません。
仕事について悩んでいる人、迷っている人に是非読んでもらいたい1冊。
それではー!