どーも!今はまだしがないサラリーマンのオーノです。本日もよろしくお願いいたします。
みなさん、塔の上のラプンツェルっていうディズニー映画観たことありますか?
昨日娘が観たいというので借りてきてみたんですけど、恐ろしい映画でした。(最後はハッピーエンドですのでご安心を!笑)
娘は映像が怖かったのか内容が怖かったのかわかりませんが、その恐ろしさが伝わるようで「怖いからヤダー」と言って途中からまったくみてません笑。
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あらすじ
ラプンツェルは金色のめちゃくちゃ長くて美しい髪の毛を持っています。多分身長の10倍くらいはあったかと。その髪の毛は魔法の髪の毛で、歌うとキレイに光るんです。で、光った髪の毛に触れると、その触れた部分の時間が巻き戻され傷が治ったり若返ったりする。
でも髪の毛を切ってしまうと、その部分からは絶対に髪の毛は生えず、茶色くなってその不思議な力を失います。
その力を独り占めして若い自分を保とうとした欲深い女が、赤ちゃんのラプンツェルを連れ去り、人が絶対にこないであろう山の奥にある塔の頂上に閉じ込めます。なんと18歳まで!
鎖につないで監禁するわけではなく、自分を母親だと信じこませ、「あなたのためを思って言っているのよ」を連発。「外はとても危険なところよ。あなたは特にか弱いから出たら絶対大変なことになるわ。」と。
大人のエゴが子どもの生きる力を奪う
ラプンツェルは閉じ込められているけど、外に出て、1年に1度だけ見られるという「天にのぼっていく光」を見てみたい!という希望に溢れて生きています。
ニセ母は、純粋で好奇心旺盛で心の底から「生きたい!」と願っている女性を、洗脳してひとつの場所に閉じ込めているのです。
映画を観たとき、一瞬ヒドイやつだ!と思いましたが、「大なり小なり存在するおぞましい現実」だと気づき、自分自身が恐ろしくなりました。
わたしは自分の「エゴ」で子どもを縛りつけていると自覚しました。
希望や好奇心、やりたいこと・やってみたいことが溢れ、生きる力を解放しようとしている子どもに、
「あーやれ、こうやれ」
「こうしないとダメ」
「そうじゃなきゃ意味がない」
「そうやったら失敗する」
「危ない」
「人に迷惑かけるな」
で最後に、「お前(あなた)のために言っているんだよ」。
「あなたのため」という言葉は他者をコントロールしたいという欲望から生まれている
以下、坂爪圭吾さんのブログから引用。何か思ったときにちょうどそのことについて書いてくれる不思議な存在です。最近ハマっています笑。
【CTS-洞爺湖】嘘吐きは殺人のはじまり。ー 「あなたのため」とか言いながら、自分のことしか考えていない人間が多い。 – いばや通信「あなたのため」とか言いながら、自分のことしか考えていない人間が多い。偽善者ぶることで優越感を持ちたがり、他人をコントロールしようとする人間が多い。「これを言ったら相手がどういう気持ちになるのか」ということに対する、想像力が著しく欠如した人間が多い。
わたしは子どもを自分の知っている範囲の中に閉じ込めて、安心したいだけなのだというのが振り返るとよーくわかります。だからこのラプンツェルのニセ母のやっていることは他人事ではなかった。だからこの映画が恐ろしく感じたんです。
まとめ
わたしはよく息子に「自分勝手にやりたければ、家から出て行って自分の力で生きてみろ!」と言ってしまいます。自分なりに考えて言っている言葉だったのですが、これって実は「出て行けないであろう息子に期待して、言うことをきかせ、結果的に自分の枠の中に閉じ込める言葉」だった。
ラプンツェルのニセ母と同じことをしています。飛び出すことを諦めさせ、生きる力を奪ってしまった。
今、泣きそうなくらい反省しています。でも自覚できて良かった。
もしかしたらニセ母親は、自分のためにコントロールしているという自覚があった分、わたしよりマシだったかもしれませんね笑。
自分のエゴや都合、安心を得るために、大人は子どもを狭い世界に閉じ込めます。
でもそれでも、生きる力を解放させたいと無意識に願い、希望に満ちあふれているのが子どもです。
いつ気づいて、いつから向き合えるか?導けるのか、たちきらねばならないしがらみとなるのか?
子どもの「生きる力」をできるだけ減らさず解放するために、早くそのことに気づくべきだったと実感した週末でした。
あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!