名作「プラネテス」を読んで思ったこと。
人はなぜ執着してしまうのか?
宇宙船の事故で行方不明になった奥さんの形見のコンパスを6年間ずっと宇宙空間で探し続けている宇宙飛行士がいる。
彼は、ついにそれを宇宙空間で見つける。
デブリの雨の中に飛び込んででも、死んでも手に入れたかった奥さんの形見のコンパス。
蓋の内側には「Please save yuri(ユーリを守って)」の文字。
死んでしまったユーリの奥さんは、蓋の内側に書かれている文字を、ユーリには見せなかった。
そのおかげで、ユーリは6年間コンパスを探し続けた。
でもそのおかげで、ずっと宇宙を生きてきた。
人はなぜ、1つのことに執着してしまうのか?
執着して、正しさを振りかざして、正論で刺し合うのか?
良いとか悪いとかなんなのだろうか?と思う。
いまここは、自分が生きている世界だ。
本当はそれだけしかなくて、すごくシンプルなはずなんだ。
難しく考えずにシンプルに生きよう。
人はなぜ逃げるのか?
困った時に人間は神様に頼る。
頼るクセに、助けてくれないと神は人間が嫌いなのだと言う。
「神様がなんだって!?だったら船を降りるっていうの?」
とフィーはハチマキに言う。続けて、
「もう宇宙(ここ)は人間の世界だ!暖かいところに引きこもっていてもなんの解決にもなりゃしないんだ」
逃げていても何にもなりゃしないことをわかっているのに人間は逃げる。
それでいいならそれでいいんじゃない?という問題ではなく、目の前の人が逃げようとしていたらどんな手を使ってでもいまいる世界に引き戻さなければならない。それがフィーには感覚的にわかっている。
苦楽を共にした仲間ならなおさらそうだ。
黙ってはいられない。
とにかく琴線に触れた感覚には大きな意味がある。
自分の「琴線」を大切にしよう。
人はなぜ目の前の世界を受け入れられないのか?
「宇宙はしか」という精神的な病にになりかけていたハチマキは、生まれてから12年間ずっと月で暮らすノノに出会って気づく。
「問題はこの誰にでも平等に無慈悲な世界をどう受け入れるかってことだったのかもな」
人間はときに、答えの出ない答えを探して旅に出る。
目の前にある世界がうまく受け止められず、「受け止められる自分」を探しに旅に出る。
でも、結局答えは出ない。答えなんてないと気づいて帰ってくる。
そして覚悟をする。
「そのままの自分で、目の前にある世界を生きよう」って。
望んでた通りに生きれないことを何かのせいにして、言い訳をいつも探し回って生きるよりも。
答えなんかないから、いまを生きる覚悟をしよう。
人はなぜはっきりさせたがるのか?
疑いようのないモノを持っている人は素敵だ。
いつでもまっすぐ、自分らしく生きている。
疑問ばかり持っている人は、確証を得たいんだ。
はっきりと正しくわけないと、なんか不安なんだ。
確かなものを持っていないから。
でも、この世界にはっきりしているものなんて果たしてあるの?
境目をはっきりさせようとするから苦しむ。
いいんだ。境目なんてはっきりさせなくても。
そんなのないんだから。
人はなぜ夢を見るのか?
人が「夢」を見るのは、いつまでも夢の途中でいたいからだ。
だから、夢があると言って、計画も立てず動き出さない。
動いたとしても何かがあるとすぐに諦める。
「たたかいきれないお前は、ようやく今頃になって言い訳を探し始めている」
言い訳をやめて、夢を見るのはやめよう。
ここは現実だ。やればできるし、やらなければできない。
ただそれだけだ。
まとめ
ブルーハーツの歌でこんな歌詞がある。
はっきりさせなくてもいい
あやふやなまんまでいい
ぼくたちはなんとなく
幸せになるんだ
幻なんかじゃない
人生は夢じゃない
ぼくたちははっきりと生きてるんだ
はっきりさせなくても、あやふやなまんまでも。
ぼくたちははっきりと生きているのは確か。
そのままの自分で生きようと思います。
なんか吹っ切れてきました笑。
それではー!