日本には物作りとか金儲けとか、現世の富貴や栄達を追求する者ばかりでなく、それ以外にひたすら心の世界を重んじる文化の伝統がある。-清貧の思想 まえがきより-
敗戦ですべてを失った日本の劇的な復活と成長を支えたのは、少しでも良い生活を追求しようとする気持ちでした。
モノが全くない時代を生きた人にとって、まずはモノを手に入れよう、モノを手に入れることが幸せにつながるんだと考えるのはごく当たり前のこと。現代を生きるぼくらは、彼らの恩恵を預かり、モノがありすぎて困ってしまう現代を生きている、ということをまずは忘れてはいけないと思うんです。
この本は1992年9月に初版が発行されている。ちょうどバブル崩壊の時期。
うなぎのぼりの経済成長が日本人を調子に乗らせたようで、海外では「日本人は金儲けの話しかしない」というイメージを持たれていたといいます。
伝えたいこと
著者の中野さんは、「日本人が持つ素晴らしき一側面」を他国にも自国にも伝えたい一心で、この本を書いたようです。
心の平安を奪う地位や権力やお金のような「欲望」を重んじる日本人ではない「心の自由」を重んじていた日本人の生き方や言葉を借りながら、日本人が本来持っている文化と伝統と、今こそ見直して欲しい行き過ぎた大量消費の価値観について書いています。
響いた言葉
中でもぼくは、本阿弥光悦と良寛の話が好きでした。
その辺の名言を以下に抜粋・引用。
貧困ゆえに起こる不幸よりも、富貴が人の心に及ぼす害毒を重視し、貧しくても人間らしいほうがよほどいい。
物に心を乱されるくらいなら、持たなければいい。人は所有が多ければ多いほど所有物に心を奪われて、心は物の奴隷となってしまう。
人間は生きてゆくうえで必要欠くべからざるだけの物があればよい、それ以外の物なぞ何も持たないのが真の自由人というものである。
物の生産がいくら豊かになっても、それは生活の幸福とは必ずしも結びつかない。幸福な生のためには物と違う原理が必要であることにわれわれは今ようやく気がつきだしている。
所有欲の限定、無所有の自由を見直す必要がある。
所有を必要最小限にすることが精神の活動を自由にする。
清貧の思想とは
物を人間の生きるうえで必要以上に浪費することをせず、必要最小限の物を大事にあつかうシンプル・ライフを実践する人のことを、「清貧の思想」の持ち主と呼ぶのだとわかりました。
これはつまり、「ただただケチである」ということではなく、地球や自然の恵みに感謝し、自然に対する畏怖の念を持っているということです。自然の恵みに感謝し、自然と共存しようとする心が、過去の偉大な日本人文学者のこれでもかというほどの「質素な生活」につながっていたということ。
まとめ
「清貧の思想」という本は、物で一時的に心を満たすのではない本当の意味での「心の満たし方」を昔の日本の偉大な文学者たちの生き方を通じて教えてくれます。
まあそうは言っても、ぼくの体に染み付いている物への執着心や大量消費的価値観はなかなか簡単に捨てられそうにない気がしますが、、、でも体はこの本に間違いなく反応しました。DNAに刻まれている日本人の文化が思い出せた、ような感覚です。
おそらく多くの人が「モノの時代からココロの時代へ」と世界が動き始めていることを感じていて、昔の日本人が大切にしていた価値観に回帰しようとしている流れが確実に来ています。ミニマリストとかスローライフとか、流行ってますし。でもそれは「流行っているからやろう!」ってミーハーな感じではなく、自然と体が求めはじめている感じ。
この「清貧の思想」はだいぶ前の本ですが、その微細な反応をより大きく高く膨らませる効果がある。ミニマリストというワードが気になっている方は是非。
最後に、良寛の生き方から考察した著者の言葉を引用。
身辺をつねに欠乏の状態すれすれに置くことは、それ自体が感謝を持って生きることの工夫であるかもしれないのだ。
自分にとっての「必要最小限のモノ」を知り、自由に生きる準備をしよう。
気になる関連本。