インターネットで古本の買取販売をしているバリューブックスで働きはじめて、もうすぐ2年が経とうとしています。
いまさらですが、2年経ってやっと、「ああ、ぼくは本屋だったんだなぁ」と実感しています。
でも実は、恥ずかしながら、会社で仕事をしていてそう感じたわけではありません。笑
内沼晋太郎さんの「これからの本屋読本」読んで、実感しました。
ぶっちゃけいままで「本屋感」なかった
確かにバリューブックスは本屋、のはずです。
でも、(こんなこと言うのは恥ずかしいのですが笑)入社してからいままで「本屋感」はほぼゼロでした。
でも、「ある人のいらなくなった本を買取して仕入れて、必要としている人に販売する。」って、
やっていることは本屋です。
バリューブックスの中ではもしかしたらぼくだけかもしれないけれど、、、本屋の中で働いている本人は本屋である感覚がないのに、本屋として日々活動していて、周囲からは本屋だと思われているって、、、なんだか不思議なことだなぁ。笑
一番身近な本屋は親である
内沼晋太郎さんの「これからの本屋読本」から引用させていただきます。
けれどぼくは、必ずしも最初から「そろえて売買」をしなくてもよいし、「専門」というほど知識がなくとも、単に本を選んで手渡す側と受け取る側という関係が成立すれば、手渡す人を広義の「本屋」と捉え、そういう人を増やしていきたいと考えている。
そう考えたとき、一番身近な「本屋」かたちは、親である。
多くの場合において、子どもが最初に手にする本は、親が選んで買い与えたり、読み聞かせたりするものだ。あなたが自分のお金を持つようになる前の、小さな子どもの頃から本好きだったとするならば、あなたの親はあなたにとって「本屋」だったはずだし、もしあなたに子どもがいて、本を選んで買い与えているとするならば、あなたは既にその子どもにとって「本屋」であるといえる。
これを読んで、「いやぁモノは言いようだよね」と思う人もいれば、ぼくみたいに「はっ!ぼくはバリューブックスに入る前から本屋だった!」と思う人もいます。
仕事とは何か?
「本屋って仕事は、本を売って生活をしている人のことだ」と思う人もいます。
それは「お金を稼がなきゃ仕事とは言えない」という考えからきているものではないでしょうか?
まず大前提として、心穏やかに生きていくうえでも、面白いことをやるためにも、ささやかな幸せのためにも、お金は必要だとぼくは思っています。
「お金がなくても楽しく生きていける」って人もいるけど、ぼくはそこまでは思えない。
正直、お金を稼ぐことには興味があるし、その方法を体得したいです。
話を戻すと、その「心穏やかに生きてくために必要なお金」があるという土台の上に立つならば、たとえば売上が上がらなくとも、大切な人が必要としていることやモノを自分なりに用意して、その人の力や勇気の足しになるように手渡すことは、それは立派な「仕事」ではないかと思うんです。
仕事の原点は「仕える事」、自分が関わりたい人のために、自分ができることをするってことです。
その延長線上に、「自分が手渡したことやモノの価値に応じて、お金をもらう」という交換が発生するんじゃないかと。
だから、「本を人のために選んで、手渡す」ということは「仕事」だし、「本屋」です。
「本屋という仕事」の延長線上に、「本屋でメシを食う」「本屋として生計を立てる」があるだけだと思います。
本屋として生計を立てている
つまりぼくは「本屋」であり、「本屋という仕事」の延長線上で、「本屋として生計を立てている」ことになります。
それがわかったら、なんだか少しウキウキしてきました。
なんかもっとできることがある、って気がしてきたんです。
まとめ
「仕事」と「お金を稼ぐこと」がごっちゃになってしまっていたのですが、内沼さんの本でクリアになりました。
「本屋である」ことと、「本屋として生計を立てる」ことは、別の話であることと同じように、「仕事」と「お金を稼ぐこと」は同じことのようで違うのだとぼくは思います。
そして、明確に切り分けて考えても、ぼくは本屋であり、本屋として生計を立てている。
はっきりと「自分は本屋である」と言える。
これはすごい発見でした。笑
力が湧いてきます。
「これからの本屋読本」は、本屋をやりたい人、本屋として生計を立てたい人はもちろん、本屋ではなく個人として何かお店をやりたい人や、本を活用したお店づくりをしたい人にも、とても参考になる本です。
内沼さんはバリューブックスの社外取締役を務めていることもあり、直接お話する機会がたまにあるのですが、本を大切にしていて、「本が活きる道」をいろんな角度から、とことん追求しようとしている人だなぁとぼくは感じています。
おかげで、「ぼくもいずれ、本をからめた個人のお店を立ち上げよう!」という気持ちになれました。
それではー!