ちょっと、というかかなり暗い話ですが、、、
どこかのタイミングで、「自分にウソをつく」ことや「自分を裏切る」ことが当たり前になったんだなぁと、最近自覚しました。
過去を振り返ってみると、小学校2年生のときに引っ越して、転校先で友達があんまりできず、4,5年生あたりで所属したグループでいじめられるようになった場面が思い出されます。
おはじきで水あめを買いに行かされた
よく遊んでいた団地前の公園に、屋台の水あめ屋さんが定期的に来ていました。
当時の友達グループの一人が「これで水あめ買ってこい」と、ぼくに「おはじき」を渡してきました。
こんなので絶対に買えるわけがない、と思ったし、本当に嫌だったので断りたかったのですが、、、
仲間外れにされるのが怖くて怖くて、水あめ屋のおじさんのところに「おはじき」を握りしめて行きました。
「水あめください」と言ってつくってもらって、お会計で「おはじき」を渡したときのおじさんの、目を見開いた表情が忘れられません。
グループのところに戻り、「買えなかった」と言ったのですが、「もう一回行ってこい」と言われ、おじさんには無視され、、、何度かそのやりとりを繰り返した記憶がありますが、最後の方はもう覚えていません。
思い返してみれば、あれはおそらくいじめだったし、本当に辛かったなぁ…と。
いじめられたときに思ったこと
はっきりとは覚えていないけれど、
「いじめられるくらいなら、自分は自分のままでいない方がいいのかもしれない」
くらいに思ってしまったのかもしれません。
そしてそこから、相手の顔色に敏感になり、ビクビクしながら過ごしました。
いじめられて得たスキルと悪いクセ
そのおかげと言っていいのかわかりませんがw、相手の機嫌がいまどんなもんか、どんな気持ちなのかを察して、その人の気持ちの波を表面的に穏やかにするのはうまくなった気がしています。
ただその表面的な行動は、世界全体を俯瞰してみている人や、まっとうに人を人として見ている人、自分や相手をひとりの人間として見ている人には、違和感を感じる行動です。
場合によってはすごく不快なものなのだなぁということが、人生38年でようやっとわかってきました。
自己防衛が「本当の自分」をわからなくしてしまう
大きなものも些細なこともありますが、
「これやりたい」
「やった方がいい」
「やるべきだ」
「やっちゃダメ」
「やる必要がない」
ということを、嫌われたくないという恐れから、本当にたくさんの回数、ぼくは自分の心が発する声を無視したり裏切ったりしてきたと思います。
でもぼくは、そんな自分が悪い奴、ダメな奴だなんて思いたくないんです。
誰しも、自分のことは好きでいたいものじゃないですか?w
だから、自分を裏切ったり、自分にウソをつくと、「だってしょうがないじゃないか」とか「自分は間違っていない」とか「傷つくくらいなら自分を抑える方がマシ」などと言って自分自身を正当化しはじめました。
いじめられて、もう誰からも嫌われたくないぼくは、本当はつるみたくもない友達に合わせたり、本当は行きたくもない集まりに参加したり、親からもらった大事なお金を友達(と呼ばれたい人)のゲーセン代に使って媚び売るために使い果たしたりしたのです。
別に勉強が好きなわけでもないのに、地元の友達から逃げるために私立中学受験をしたいと親に言って、進学したり。
まあでも、逃げたおかげでいい友達に巡り合えたりもしたけれど、でもその中でも、どこかで内心ビクビクしていたような気もします。
バカにされて嫌われたくなくてサッカーや勉強がんばったり。
同じく「こいつはヤベーやつだ」とか、「面白いヤツだ」と思われたくて、世間に迷惑をかけるような悪いことをしたり。
ああ、そうか。
そうやって、自分を裏切って、自分をウソで塗り固めて、本当の自分がわからなくなったのか。
と、書いていて腑に落ちてきました。
そうやって自分の心の声を無視し、自分自身を裏切り続けた結果、「本当の自分」がわからなくなってしまう現象が起きたのでした。
人生が苦しくなる原因
本当は、
「もう無理」
「苦しい」
「辛い」
「耐えられない」
と感じていることを、がんばってやってしまったり、
「うれしい」
「楽しい」
「気持ちいい」
「心地よい」
と感じていることを、周囲の人や社会的な要望に応えるために抑えつけたり。
そうやって、本当に自分が感じていることがだんだんと薄まって、気にならなくなったり、当たり前になったりして、「素直な自分」「本当の自分」がわからなくなってしまう。
「自分にウソをつく」ことや「自分を裏切る」ことがデフォルト状態になった結果、
「毎日なんだか苦しいし、うまくいってる感じがしないけど、なぜだかよくわからないなぁ。」
「でもまあ、やらなきゃいけないことがあるから、我慢してやるしかない。」
と、なる。
素直な自分ではない自分が、繰り返し何かを我慢してやった結果、「我慢した自分の気持ち」はどこにも行き場がないので、体調が悪くなったり、ウツっぽくなったり、気分が悪く不機嫌で、世の中がネガティブに映ったり、周囲の人に疑いの目を向けたり信頼できなくなってしまったりする。
自分を守るためにした些細な「自分を裏切る」行為によって、人生は「しょうがないよね」の言葉で埋め尽くされる。
実際ぼくは、長野県上田市に引っ越してから勤めはじめた会社では、「しょうがないよね」を連発していましたし、その言葉で周囲の人とつながっていた気がします。
ある日突然、自分のやっていることに意味を見出せなくなり、ウツっぽくなって、耐えられなくなって、逃げだすように会社を辞めました。
「自分を裏切る」ことを繰り返したことが原因でした。
いじめられたことがあるキミへ
たった1度の「自分を裏切る」行為が、ぼくのように何十年も尾を引くことだってあります。
自分をだますのがうまい人や、体や心がタフな人ほど、毎日をやり過ごすことができてしまう。
そう考えてみると、ぼくは結構心がタフだったのかもしれません。w
でも38歳になって、タフな自分でいることが疲れてきましたし、いつか死ぬことを意識したら「このままでは良い死に方できないかもなぁ」と思ったら、ちょっと勇気を出して生き方を変えてみようと思えるようになった。
これが周囲にとって良いことなのかはわかりません。
でも、少なくとも、自分自身にとっては間違った選択ではない、とハッキリ言えます。
これを読んでくれた人の中で、いまいじめられていたり、いじめられた経験がある人、いじめに限らず「なんか最近苦しいなぁ」と感じている人がいたら、試しにやってみて欲しいことがあります。
・「嫌だなぁ…」と感じていることに素直になり、できる範囲でやめる。
・心から楽しいと思えて「やりたい!」と感じたことに向き合い、とにかくやってみる。
どんな些細なことでもいいから、「自分を裏切る」行為を1つでも減らして、自分を大切にしてみたらどうなるか?
心がなくなって、取り返しがつかなくなる、その前に、試してみる価値はあるんじゃない?
それではー!