人を信じていないという人は、人を信じている人。

ぼくは、目の前の人を信じることができないときがあります。

そのことをある人に相談したところ、

「人を信じられないときがあるということは、人を信じているということですよ。」

と言ってくれました。

人を信じられないときがあるということは、人を信じているということ。

この言葉の意味とは、

「人を信じられないときがある」という感覚は、「人を信じた経験がある」からこそ認知できる、ということ。

人を信じた経験がなければ、その逆の「信じない」という感覚を認知することはできません。

そして、「信じられないときがある」ということは、基本的には目の前の人を「信じたい」と思っている心の表現だということです。

つまり、「人を信じられないときがある」というのは、自身の心の乱れが一時的に引き起こしているのであり。

「自分は人を信じることができない」ということにはつながらない。

という話でした。

目の前の人を信じる

冒頭に書いたある人とは、「寺子屋ありがとう」というフリースクールを運営している岸本さん。

会って話したことは、後日ブログに細かく書きたいと思っていますが、一番印象に残ったのが、

「人を信じられないときがあるということは、人を信じているということです。」

という言葉でした。

ぼくは、たまに目の前の人を信じられないときもあるけれど、基本的には信じているのだとわかりました。

目の前の人を信じられないと感じたときはおそらく、「信じられない…」と感じたその瞬間、何らかの理由で自分の体や心が乱れているのだ。

目の前の人を信じることができない理由を、目の前の人の行動や言動のせいにすることなく。

その原因は、もしかしたら自分の中の何かが乱れているせいかもしれない…

とわかったら、やれることはいくらでもあるなぁと。

目の前の人を信じる力を、ぼくたちはすでに持っています。

それではー!

ABOUTこの記事をかいた人

東京都北区出身。 これまでの経験と読書遍歴を活かして、現在は動画制作・コミュニティー運営・速読読書会開催・YouTubeチャンネル運営・オンライン講座を通じて、人が自らの才能を発揮し自由に生きるためのサポートをしています。