朝起きて、ご飯を食べて、身支度をして、車や電車で会社に向かう。
仕事をして、残業をして、帰路に着き、家に帰って、ご飯を食べる。
お風呂に入って、酒でも飲んで、さあ寝るか。
家と会社の往復をし、休みの日には家族だけでのんびりと過ごす。
たまには出掛けて、外食をしたりして、日常から離れてリフレッシュする。
それはそれで素晴らしき世界なのかもしれませんが、そんな変わらない生活を繰り返し、土日が来るのを待ち焦がれながら仕事をしていて何か物足りない、飽きてしまった、と思っている人もたくさんいるのではないかと思います。
凡人サラリーマンのぼくは、まさにそんな感じで毎日を過ごしていたのですが、最近ちょっといつもの生活から離れて活動するようになって、「ぼくって、実は超もったいない人生を過ごしていたんだな」ってことに気づき、今モーレツに危機感を感じているところです。
ちょっと回りくどいですが、順番に書いていきますね。
人生に何らかの意味を見出したヤツが最後まで生き残る
究極的な話ですが、、、第二次世界大戦時にナチスの強制収容所に収容されていた心理学者のフランクルさんの有名な話があります。
収容所で、家族も仕事も財産も奪われ、身ぐるみはがされてあとは死を待つのみという絶望的な状況で、最後まで生き延びた人たちに共通して見られた特徴は、自分が生き残ることに何らかの「意味」(例えば家族が待っているとか、やり残したことがある、とか)を見出していたこと、なんだそうです。
フランクルさんは、「人は意味を求める動物である」と言ったそう。
意味さえ見つければ、人は何が何でも生き延びようという生命力が湧き上がってくる生き物だということ。
現代はとにかく平和で、人生に意味など見出さなくてもただ息をして生きていくことができる時代ですが、そのおかげで本来持っている力を全く発揮せずに生きている人もたくさんいるような気がします。
どうせ生きるのなら、イキイキと毎日を過ごしたいなとぼくは思います。
情熱を注げる何か、自分が生きている意味を、間違っててもいいから見つけたいですねぇ。
「生きている意味なんて考えたことないわ!」という人がやってみた方がいいこと
どんなに無意味に思えることでも何かしらの「前向きな意味」を見出すことができれば、力は湧いてくるということ。だけど、「生きてる意味」なんてそんな哲学的で難しいことわからないし、考えることができないで!というぼくのような人は多いであろうと予想します。
そんな人たちがやるべきことは、「家の外へ出る」こと。
神との対話シリーズの著者、ウォルシュさんという方がこんなことを言ったそうです。
まず家の外に出なさい。そして、街をゆっくり歩きなさい。さらに、そこで出会う人や目にする出来事をじっくり観察しなさい。そうしたら、いずれあなたの求めている答えが見つかるでしょう
と。
この言葉を引用していた「本当の仕事 自分に嘘をつかない生き方・働き方」という本の著者である榎本英剛さんも、本の中でこんな風に言っています。
存在意義というのは、家にこもって1人で考えていても決して見つかるものではありません。街に出て、他者と関わり、世の中と関わってこそ見えてくるものなのです。
だから、生きている意味がわからない人、というかそんな小難しいこと考えなくていいから、とにかく家の外に出て、街に出て、人と出会って興味のあることを観察すれば、自然と「生きてる意味」が見つかるんじゃない?ということです。
実際に街に出て人と出会ってみてわかったこと
で、ぼくは最近勇気を振り絞って(笑)積極的に外に出るようにしています。
企業の力を借りて町を盛り上げようとする活動に参加してみたり、
<参考記事>
【本】「本でまちを豊かにする」を実現するために必要な3つのこと。
【上田市オススメスポット】え!?上田ってこんなにオシャレな町なの?上田市在住のぼくも知らない世界があってビビった話。
認知症カフェを始めようとしている場所に場違い感満載で参加してみたり、
<参考記事>
「誰もが当たり前に暮らせるまちづくり」は、小諸市に誕生する認知症介護カフェ「あいおいテラス(仮)」から始まる。
あと最近は、自治会の育成会(子どもたちを育成するイベントを企画したり開催したりする)の担当になったりして、否が応でも
地域の知らなかった人たちと話す機会が増えた。
そうやって家の外に出るようになってわかってきたことは、
・こんなに近くにこんなに刺激的な場所や人がたくさんあるのに、本当に何も知らずに生きていたんだな〜
・世界には課題や問題がたくさんあって、自分にも小さくて微力かもしれないけどできることがあるじゃん!
・周囲にはたくさんの人がいて、そんな人との出会いやつながりって楽しくて嬉しいもんなんだな、
ということです。
いろんな人に出会って、いろんな人がいることに気づいて、いろんな人としゃべると、いろんな自分に気づきます。そして「前向きな意味」さえ(勘違いでもいいから)持つことができれば、自然と「相手のためにできることは何か?」「自分には何ができるか?」を考え始めます。
そして、そういうことを繰り返していれば、
相手のために自分にしかできない「したいこと」をやる。
という形が見つかるんじゃないか?という期待感を今自分自身に持てているんです。そんなものがもし見つかったら、それこそまさに「存在意義」だし、「生きている意味」じゃん!と思いました。
まとめ
この前自治会の育成会の「しめなわ教室」の先生をしてもらう人にお願いをしに行ったのですが、その方がめちゃめちゃいい人で、わらをくれたり、わらをすいたり、1人分ずつ小分けにしたりと、準備をほぼすべて一緒にやってくれたんです。
もうそれだけで感動したのですが、なんと最後にこんなに素敵なプレゼントをくれたのです。
キャベツ、大根、ブロッコリー、長ねぎを、その場で収穫してぼくにくれました。
そして、収穫前のキャベツの姿に感動したんです。めちゃくちゃ美しいやん!って感じました。
そして、ウキウキしながら家に帰って、自然と「あの人のために、何かできないかな?」と考えたんです。
「ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~」の影山さんが言っていた「健全な負債感」という言葉を思い出しました。
だからまあ、存在意義とか生きてる意味とかそんなたいそうなこと考えなくても、外に出て人と出会うことで、気づくこと・見つかることはたくさんあって、感動があって喜びがある。それだけでも大きな意味があるんだと、実体験を通じてわかってきました。
家と会社の往復に退屈しているサラリーマンが、人生を楽しくするカギは「健全な負債感」にあります。
「してもらう」「してあげる」がなにげない日常に溶け込んでいるって素敵ですよね。
毎日そんな風に生きれれば、退屈なんてしないんだろうな。
それではー!