What’s in a name? that which we call a rose
By any other name would smell as sweet.
名前ってなに?バラと呼んでいる花を
別の名前にしてみても美しい香りはそのまま。
(ウィリアム・シェイクスピア作 ロミオとジュリエットより)
ロミオとジュリエットの家は対立関係にありました。だから、その名前さえ捨てれば何も気にすることなく一緒になれるのに、、、という切実な想いから、ジュリエットは「名前にどれほどの意味があるの?」というニュアンスのことを一人つぶやいてみたのではないかと思います。
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名前とか言葉の力
ほとんどの人が一人ひとり名前を持ってこの世界で暮らしています。私の知っているこの小さな世界では、名前を持っていない人に出会ったことはありません。
ロミオとジュリエットのバラの話のように、人も名前がなくたって、その人であることは変わりません。その人に会えば、その人であることがわかるんだから、別に識別する必要もないし、名前によってその人が形作られているわけでもない気がします。
でも、言葉にはものすごい力があって、五感を超えて人の意識や行動を支配することがあります。名前によって植え付けられる先入観や偏見が、本当に大切なことを見失わせてしまう可能性もある。
例えば、人としてお互いを尊敬し合って惹かれ合って、どんなに好きになった相手でも、日本人だと思っていたのにそうではなかったというだけで嫌悪感を抱き、尊敬できなくなってしまうことだってあるかもしれません。
日本人だとか何人だとか、そんなことでその人の本質は変わらないのに、その人の偏見次第でどんなものにも変わってしまうのです。
名前の持つイメージには、とても大きな影響力があるということです。
名前に込められた想いを整理する
モノや人に名前をつける場合、それに何かしらの想いを込めることが多いと思います。
特に人。親が自分の子どもに付ける名前には、自分に足りなかったものを得て欲しい、こんな風に育って欲しい、こういうことを大切にして生きてほしい、といったような「願い」が込められているのではないでしょうか。
名前に込めた想いは親の自分勝手な「願い」ですが、その願いはその子が人間として成熟していく過程において少なからず影響を与え、人間性の一部としてその人を形作っているのは間違いないと思います。
これまで、親、おじいちゃんおばあちゃん、そのまた上、、、と辿っていくと、色んな名前があるはずです。これまで積み重ねられたたくさんの願いは、私たちが生きている今この瞬間につながっているとも言える。どんな願いが込められていて、どういう風に育ったのか、何があったのか、わからないことだらけですが、向かっている方向と私たちの足元に培われた土壌は、私たちの親やその祖先によって指し示され、培われてきた大切なものであると、今は思います。
そんな風に思うと、これまで培われた土壌とそこから出た芽に、一生懸命考えて願いを込めて付けた名前をもう一度見つめ直してみようと思いつきました。一つの家族・チームとして次にどんな土壌を作っていくか?本当に向かいたい場所・方向はどこなのか?を確認するのです。
つまり、今家族が持っている名前を整理して、いつでも道を見失わないように歩いていくための「家族の羅針盤」を作ってみようかと思いついたワケです。
まずは並べるところからはじめます。
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あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!