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photo credit: Anirudh Koul via photopin cc

 

この本を読んで、驚きのイギリス流ルール設計と運用方法を知りました。
読書メモを共有します。

 

 

イギリスでは、憲法は非成文である。首相をどのように任命するか、という重要事についてさえ、明文規定がない。

 

イギリスの法制度の背後には、「重要な事項に関する人間の判断については、あらかじめ条文で縛っておくことはできない」というイギリス人の叡智がある…(中略)あらかじめルールでがんじがらめに縛っておくと、人間はでき損ないの人工知能のようになってしまう。だから、大切なことについての判断は、「これだけは絶対に譲れない」という制約を除いて、為政者の良識に任せるというのが「イギリス式叡智」である。

 

 

ルールでがんじがらめにすると、大切なことについての判断を「考える」ことなくしてしまう。考えた結果が反映されていなければ、人間は必要ない。
ルールを「これだけは絶対に譲れない」という制約だけにすることで「思考のための空白」を設け、大切なことはよく考えてから決めようということ。つまり「常によく考える」という習慣をイギリス人は持っているということだと思います。
 
サッカーのルールを作ったのもイギリス人が主体らしいです。以下も引用です。

 

優れたルールの存在がなければ、今日のサッカーの隆盛はなかっただろう。とても覚えきれないほど複雑ではなく、誰でも理解できる。それに従ってプレイすると、ゲームが面白くなる。しかも、プロフェッショナルレベルでのスキルや戦術の追求が奥深く、興趣が尽きることがない。このようなサッカーの競技特性は、たくみに設計されたルールの存在なしでは考えられない。

 

私も中学・高校とサッカーに熱中していましたが、これだけ世界的に愛され、熱狂させるのは、ルール設計とその運用が素晴らしいものだからなのだと知りました。

 

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今の日本に生きて感じるのは、ルールをどんどんがんじがらめにしていく「息苦しさ」です。
どんどんルールを明文化していきます。肝心要の「絶対に譲れないもの」の議論なしに、規定だの規則だのを作っていく。何か問題が発生すれば、絶対に問題が再発しないようにと、さらに項目を余計に追加したルールを作る。
 
そんなにルールがいっぱいあったら覚えられないじゃん!って思いませんか?なにより、人が創造的になれる「空白」がどんどんなくなっていくことが大きな問題です。

 

「大英帝国」に象徴される近代のイギリスの隆盛をもたらした要因については、さまざまな考え方があるだろうが、イギリス人のルール作りとその運用における卓越性が重要な役割を果たしてきたのではないか。
イギリス人は「フェア」(公正さ)ということを大事にし、サッカーにおいてもフェア・プレイの精神が大切とされる。倫理というと、日本人はどうしても堅苦しい道徳の問題に拘泥しがちだが、社会を活性化するための一種の「インフラ」としてフェア・プレイの精神を見つめ直す必要があるのではないか。
社会におけるさまざまな「ルール」も、上からの押し付けではなく、自分たちが人生を楽しむための創造的叡智として、積極的に捉えたいものだと思う。

 

「悪い」とされることを取り締まるために、ルールがルールを呼び、身動きが取れないがんじがらめの世界で、創造性を失って生きていくのはごめんですよね。だって人間は多かれ少なかれ、何かを創造し表現しながら生きていく生き物ですし。
 
「これだけは絶対に譲れない」という制約というか目的をはっきりさせ、その中で自分の頭で考えながら、自由に創造力を発揮しながら生きる。人生を楽しみながら紳士的に生きるイギリス人に、日本人が今、学ぶべきことがたくさんあるような気がしました。イギリスに興味のアンテナが向きました。

 

あなたの「人生の文字盤」が見つかることを願っています。
それでは!
 

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