こんにちは!
信州上田の大野です。
最近ぼくは、毎日の習慣を作っています。
朝起きたらまずトイレ掃除をし、
<参考記事>なぜトイレ掃除を習慣にすると人生が変わるのか?調べていたらとにかくやってみる気になった。
玄関の三和土(たたき)をぞうきん掛けし、
<参考記事>【本】お金も自信も手に入る「人生が変わる玄関掃除」を習慣にしてみた。
そして、家の近くにある田んぼの周りを(雨の日以外は)ランニング・ウォーキングする。
9月のはじめからやっているので、気付いたら1ヶ月は続いている…
「習慣になった」と言ってもいいかもしれません。
やりました!
田んぼの周りで気になることが起きている
田んぼの周りを走っていて気になっていることがあります。
9月の中旬くらいからなんですが、妙にザリガニさんやカエルさんがお亡くなりになっている数が多いんです。
今まで気にならなかっただけなのか?それとも本当に増えているのか?
はっきりとはわかりませんが、道に横たわっている姿を見かける回数が多くなりました。
ザリガニは、どうも川から出てきて田んぼに移動しようとしたその途中で息絶えているように見えます。
9月ってそういう季節なんですかね?
誰かわかる人がいたら教えてください。
怖いものから目を背けている
そのお亡くなりになられている姿を見ると、ぼくは思わず目をそらしてしまいます。
それはきっと、怖いから。
昔から虫とか動物とか生き物が苦手で、特に亡くなられている姿を見るのが怖かった。
それは人に対しても一緒かもしれません。
小学生くらいの時は「死んだらどうなるんだろう?」とか考えて妄想で怯えたりしていたけど、いつからか誰かが死ぬとか、自分が死ぬこととか、あんまり考えないようにしてきたなぁ…とこの短編映画を観て思い出しました。
3年前に撮った「葬式の朝」を
viddseeというサイトに載せてもらえることになりました。
よかったら見てください!
感想もらえるととても嬉しいです。字幕はしーちゃんにやってもらいました!
英語で私の伝えたかった機微をひろってもらえて、
とても嬉しかったです。そして右も左もわからなかった私と一緒に「葬式の朝」をつくってくれたみなさん、本当にありがとうございました。
糠塚 まりやさんの投稿 2016年8月21日
「死」っていう当たり前の出来事が怖くて、目を背けることでそれがないものと思い込ませて、逃げていたんですね。
でも、考えないようにしてきたけど、どうしても近い存在の人とのお別れは多くなってきます。
死んでしまったおばあちゃんを目の前にすると、やはり生きていることとか、死んでしまうことと嫌でも向き合うことになります。
<参考記事>【life】親愛なる祖母へ。命をつなげてくれてありがとう。
いつまでも逃げるわけにはいかない
当たり前に起こる出来事から、いつまでも目を背けているわけにはいきません。
最後の最後、この世界からいなくなるお別れの直前に向き合っても遅いです。
いつか向き合うのなら、早いほうがいい。
「今向き合わなければ、一生逃げることになる」
と思ったほうがいい。
きっと最近はそんなことを思い始めていて、ゆっくりとではあるけれど、行動にも変わりつつあります。
<参考記事>もし、仏様が道端に横たわっていたら、あなたはどうしますか?
道路に横たわっていたカエル様
この前田んぼの周りをランニングをしていたら、頻繁に車が通る道路に「カエル様」が横たわっていました。
1周目に気がつき、思わず目をそらしましたが、走りながら、
「いやいやいかん。あのままではひかれてしまう。かわいそうだ!」
「カエルは神様みたいなものだ!」
と訳のわからないことを考えながら、自分を奮い立たせ、
「2周目に通りかかった時は、移動させて供養しよう」
と思っていました。
と、あれこれ考えながらカエルがいた場所に来てみると…
トンビらしき大きな鳥がぼくの姿に気づき、勢いよく飛び立ちました。
でかい鳥が飛んで行ったのでびっくりしつつも、何か嫌な予感がし、カエルがいたであろう場所に目を向けると…
やはり、食べられていました。
食べられたカエルはかわいそうなのか?
何ということだ!
1周目でぼくが躊躇せずに拾っていれば、カエルはこんな目にあうこともなかったのに…
と一瞬後悔したのですが、どうもそれも違うなぁと考え直しました。
動物は、生き物を食べてエネルギーを得て、土に帰ってまた生き物を育てる、という食物連鎖の中で生きていると学校で勉強した気がします。
人間もあのトンビと同じように、動物の命をいただいて、日々活動しているわけですよね。
供養できなかったと後悔するのはただの「人間のエゴ」です。
カエルが「かわいそうだ」と、人間的に感情移入したからショックを受けただけ。
あのカエルは他の動物の命を維持するエネルギーになったのだから、見方を変えれば救われたのかもしれません。
人間はこの世界とお別れするとき、どんな役に立っているのか?
動物や生き物は、お互いがお互いを支えあいながら、命を循環させています。
では人間はどうなんでしょうか?
死んだら、この世界からお別れするときに、他の生き物のために何を残せるのでしょうか?
他の生き物の命を支えることができるのでしょうか?
死んだ後に臓器の移植などをして、人間同士で支え合うことはできますが、自然の中に帰ることで他の生き物の役に立つことはなさそうです。
人間は、生きている間しか誰かや他の動物や生き物の役に立つことはできないのかもしれません。
まとめ
人間は、あのカエルのように、この世界からお別れすることで他の生き物の役に立つことはあまりなく。
生きているうちにしか何かの役に立つことはできなさそうですね。
そして、誰しもどうせいつか死ぬんです。
誰の役にも立てない日が、いつか必ず来る。
どうせ死ぬなら、死んで誰の役にも立てない日が来るのなら。
生きているうちに1度くらいは「人の役に立った!」と気持ち良く言えるようなことをしたいですね。
と、田んぼでカエルとトンビに出会い、学びました。
9月の田んぼランニングは、イヤでも別れや死と向き合うことができます。
オススメ?はできませんが、考えさせられることはたくさんありますよ。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
それではー!