2016年9月25日、18:30。
上田市のブックカフェ「NABO.(ネイボ)」で、通算2回目の「出張クルミドの夕べ」が開催されました。
ファシリテーターをしてくれたのは、「ゆっくり、いそげ ~カフェからはじめる人を手段化しない経済~」の著者である影山知明さん。
テーマは「自分の頭で考える」でした。
クルミドの夕べとは、クルミドコーヒーで月に1度くらい開催される「お茶しながら対話をする場」。
そこで話される「問い」がだんだん深くなってきているようで、「哲学カフェ」なんて呼ばれ始めているそうです。
なぜ影山さんが上田市のネイボに?
ところでなぜそんな人が上田市に来てくれたのか?と言うのを簡単に説明しておきますね。
影山さんが経営している東京西国分寺にあるクルミドコーヒーは、テーブルの上にくるみが置いてあり、お客さんはくるみ割りを使って、自由にくるみを食べていいことになっているそうです。
クルミドコーヒーは、そのくるみを東御市にある「サンファームとうみ」から仕入れていて、毎年影山さんがスタッフを連れて収穫のお手伝いに来ているんです。
2015年10月4日にもくるみの収穫をするついで(笑)に、ネイボで「出張クルミドの夕べ」を開催してくれたんですね。
<参考記事>【NABO】「今日という日を生きれてよかった」そう思える毎日を生きたい。
そのご縁で、2016年もくるみの収穫のタイミングでネイボに寄ってくれた、という流れです。
どんな対話だった?
約10名くらいの方々が参加。
影山さんのお話を聞きながら、自分の頭で考えて意見を言ったり、聞いたり、と対話がなされました。
話していて、「自分の感じていることは本当に自分が感じていることなのか?」疑問になってきました。
あなたはどうですか?そう、言い切れそうですか?
今やっていることは、自分の内側から出てきた感覚が元になっているでしょうか?
2016年9月25日ネイボで開催された「出張クルミドの夕べ」について、ぼくの切り口で書いていきます。
一緒に考えていただけたら嬉しいです。
システムが求める「問い」
突然ですけど、筋トレとか運動って「必要だ!」「やるべきだ!」「やろう!」と思って始めても、面倒になったりやる気がなくなったりしてやめてしまうことってありませんか?
やることの必要性を理解しているつもりでも、すぐに結果が出るものでないと途中で諦めてしまいがちです。
「自分の頭で考える」というのは、ある意味「筋トレ」が必要です。
「考えるための筋トレ」は、面倒だし、すぐ結果が出ないし、疲れます。
エネルギーをたくさん使います。考えないで言われたことをやっていた方が楽なんです。
ぼくはこれまで、自分がしていることや、本当に求めていることが何なのか意識していないことが多かったなという自覚があり。
「言われたから勉強する」
「言われた通りに仕事をする」
「言われないからやらない」
これは「自分の頭で考える」を怠っていたということですよね。
影山さんは対話の中でこんなことを言っていました。
社会のシステムが求める「問い」に答えることが得意になっていく
それは、自分の頭で考えず、理想や望んでいることを目標にするのではなく、周囲に求められていることを右から左へこなしていくことで、得意になっていくことだと思います。
自分自身がどうありたいのか?
どんな理想を持って前に進むのか?
そのためにどんな行動をするのか?
その行動は、社会のシステムに求められているのではなく、自分が本当に望んでいることや求めていることにつながっているのか?
知る必要があります。
「答え」が先にある
影山さんは、
「答え」が先にあって、「問い」はあとからついてくる
「答え」を踏み出した時に、どういう「問い」だったかを見つける
ということを言っていました。
問いを立てるって難しいんですよね。
自分自身が望んでいる状態にむかうための問いさえ立てられれば、問題の大半は解決できます。
だから、「自分が本当に望んでいること」と「社会のシステムから求められていること」が混ざっている人は、問いを先に立てようとすると多くの時間がかかるかもしれません。
悩んでしまい、結局「自分が本当に望んでいること」と「社会のシステムから求められていること」が混ざったわけのわからない、やる気の出ない問いになってしまう可能性もあります。
「直感が大切」なんてよく言いますが、まさにそういうことなんだと思います。
答えはすでに存在しているので、五感で「答え」を見つけて行動を決める。
そのあとに、
「どんな問いがあって、自分はこんな行動をしたのだろう?」
と逆に考えてもいいんじゃないか?
ということだと理解しました。
自分の内側から出てくるもの
話が進むにつれて、自分の感じていることは本当に自分が感じていることなのかわからなくなってきましたので、ちょっと落ちついて、書きながら考えてみました。
美しいものを美しいと感じているのは誰なのか?
例えば、あなたがバラを見て「美しい」と言ったとします。
それは、そこに存在するあなたが「美しい」と言っているんだからあなたが感じていることだと思うのが普通です。
だけどもしかして、一緒にいる好きな人が「美しい」と言っているから「美しい」と言っているだけかもしれませんし、周囲にいる100人の人が言っているからそんな気になっただけかもしれないし、世の中で美しいとされているものだから美しいと言っているだけかもしれない。
目の前の花を、バラだと知らずに「美しい」と言った人がいるとします。
でもその人は、「バラはトゲがあるから危ない花」「だからバラなんて全然美しくない」「バラは呪われた花なんだよ」などと教えられて「バラは美しくないんだ」と思って育ってきました。
美しいと感じた花が、あの「バラ」だと知ったら、その「美しい」という気持ちはどうなるでしょうか?
「GO」という小説について
ぼくの大好きな「GO」という小説を思い出しました。
映画にもなり、窪塚洋介と柴咲コウが出演していた。
窪塚洋介は在日朝鮮人の役。
柴咲コウとパーティーで知り合い、二人は恋に落ちて付き合うことになった。
で、二人が体の関係を持とうとした時に、窪塚は自分が在日朝鮮人であることを告白します。
すると柴咲コウは拒絶するんです。
「お父さんに韓国とか中国の人は血が汚いと教えられた」と言って…
そこでいったん二人は別れますが、でも柴咲コウは自分の本当の気持ちを見つけます。
「もう杉原(窪塚のこと)がなに人だってかまわないよ。時々飛んでくれて、睨みつけてくれたら、日本語がしゃべれなくたってかまわないよ。だって、杉原みたいに飛んだり、睨みつけたりできる人、どこにもいないもん」
そう言って二人はまた恋人同士に戻りました。
(このやり取りはもっと深いので、詳しくは小説を読むことをお勧めします)
柴咲コウはお父さんというたった1人の、だけどとても大きな「社会」から求められたものに反応してしまい、自分の本当の気持ちを無意識に抑えつけました。
でも、自分の頭でたくさん考えて、自分に素直になって、「本当の自分」を見つけたんです。
自分だけが「いい」と言えるもの
誰も「いい」と言っていないものを、自分だけが「いい」と言える
これも影山さんが言っていたことですが、ひとつの指針になるかもしれません。
周囲の人や世の中が誰1人として「いい」と言っていないことを、自分1人だけが「いい」と言えたら、それがただ目立ちたいから反対のことを言っているわけではないのだとしたら、自分の本当の気持ちや感覚に近いのかもしれませんね。
美しいものを美しいと感じる力を
影山さんが書いてくれました!嬉しい!
美しいものを美しいと感じたり、言葉にするためには、「力」がいるのだと思います。
それは、今までずっと社会や世の中から求められてきたことをやってきた人で、それが得意になってしまった人に特に必要な力なのかもしれません。
まとめ
もし、最近強く感じたことがあるなら、素直に行動してみるといいかもしれません。
それが楽しいことや嬉しいことならなおさらです。本当の自分が見つかるかもしれません。
そして、行動した後に、「なぜこんな行動をしたのか?」と、問いをあとから立ててみる。
やると決めたらできるようになるんだから、理屈はあとづけでもいい。
ぼくにとって大事なのは、
感じて、行動して、本当の自分を知ること
だったとわかりました。
この1年、ぐるぐると回っているような気もしますが笑、10月から新しいスタートを切れそうです。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
それではー!