上田市のとあるコーヒーとカレーのお店のお母さんが亡くなったという話を聞きました。
そこのカレーはとても美味しくて健康的だとの噂を聞き、以前に食べに行ったのですが、残念ながらお休みで食べれなかった。
また行こう、絶対食べたい、と思っていたのですが、食べることができなくなってしまいました。
死を直前にした人が後悔していること
オーストラリアのホスピスで看護師をしていたブロニー・ウェアは、死を迎える患者たちが最後に後悔していることを聞き、記録しつづけた。
その結果、もっとも多かった答えは「他人の期待に合わせるのではなく、自分に正直に生きる勇気が欲しかった」。
と、この本にあります。
そのカレーのお店の方は、亡くなる直前に「悔いのない良い人生だった」と言っていたそうです。
きっと、他人の期待に合わせるのではなく、自分に正直に生きた強い人だったのではないかと思います。
自分に正直に生きる方法
「自分に正直に生きる」が自然にできる人がぼくの周りには何人かいます。
その人たちは、自分が感じたことをあるがままに受け止めて、表現することができる。
もしかしたら理解してくれる人は少ないし、悩みはあるのかもしれないけれど、正直に素直に生きているので、その瞬間瞬間後悔のない人生を送っている人なのかもしれません。
かたや、ぼくのような「他人の顔色を気にして生きる」のがクセになっている人は、自分に正直に生きることにあこがれています。
他人の顔色を気にしてしまうのは、人に嫌われたくないとか、人と違うのが怖いとか、そんな感じ。
とにかく他人の意見が気になる・怖いのです。
そんな人が自分に正直に生きるための方法を見つけました。
それは、「他人がどう思うかは自分にはコントロールできないと理解すること」です。
世界には60億以上の人がいて、それぞれの物の捉え方があり、意見があります。
何をしても、どんな行動をとっても、その人たち全員に好かれることなどおそらくできません。
だから、好かれたり、嫌われたりしないように、できるだけ目立たないように意見を主張せずに、目の前の他人の期待に合わせて生きようとする。
でも、そんな人を「あいつは自分がないから嫌いだ」と言う人だっているかもしれませんよ。
他人の思い方なんてわからないし、コントロールできないし、どう思おうがその人の自由です。
人に迷惑をかけてもいいという話ではなく。
ただ、「誰にでも好かれていたい自分」への執着を捨てて、自分の感じたことや意見を言えばいい。
執着に値するものはなにひとつ存在しない
とこの本に書かれています。
まとめ
人に好かれる・嫌われるなんてコントロールできないし、死ぬときに後悔しなくて済むのなら、一部の人に嫌われるくらい大したことではありません。
自分に執着せず、感じるままに動き、表現すればいいのです。
自分に正直に生きていれば、少ないかもしれないけれど、この広い世界ですから必ず誰かが共感してくれます。
そのお店の、自分に正直に生きた人の、美味しいカレーは食べれなかったけれど。
大事なことを教えていただいた気がします。
それではー!