2015年1月10日、わたしの母方のおばあちゃんが88歳で天国へと旅立ちました。
実感したのは、過ごした時間の長さが別れを特別なものに育てるんだなということ。改めて、家族と過ごす時間の大切さを知りました。
お葬式の時に、わがままを言って手紙を読ませてもらいました。
まさかこんなに急に死んでしまうなんて思ってなくて、ずっと会いに行かず、何もしてあげられなかった自分を罪深く感じ、その罪を少しでも軽くしようと手紙を書いたのかもしれません。
まあでもなんでも良いのです。
わたしはわたしが最後に伝えたいことを伝えないと後悔するから、手紙を読んだ、ということで。
もうやらずに後悔することはしたくない。
読んだ手紙を残しておこうと思います。
わたしのこれからの道しるべとして。
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おばあちゃんへ
わたしが、わたしの大切な家族と出会えた確率を知っていますか?
当然の話ですが、わたしには両親がいます。
ここにいるみんなにも、だれにでも同じように両親がいます。
その両親を、10世代さかのぼると1024人。
20世代で104万8576人。
40世代で1兆995億1162万7776人にもなるそうです。
わたしが奥さんと巡り会えたことも、子どもたち3人と出会えたことも、奇跡のような偶然がいくつも重なった結果です。
もしもあの時、親父とあなたが大事に育てたわたしのお母さんが出会っていなければ、あの場所で生まれていなければ、おばあちゃんに可愛がってもらっていなければ、もし親父とおばあちゃんの仲が良かったら、引っ越していなければ、中学受験をしていなければ、サッカー部に入らなければ、親父が飲んだくれでなければ、大学で長野県にいかなければ、もしあのレンタルビデオ屋でバイトをしなければ、もしわたしが母親想いの長男だったら、、、
ほんの少しでも何かが違えば、わたしは今こうして大切な家族と共に幸せに過ごすことはできなかった。
そしてもし、おばあちゃんの人生が少しでも違うものだったとしたら、、、
あなたが懸命に、前向きに、強く、明るく生きてきてくれたおかげで、命をつないでくれたおかげで、わたしはここにいるみんなとつながりながら、幸せに今を生きています。ほんとうにありがとう。
でも、あなたがいなくなってしまった今、感謝の言葉を伝えてみても空しいです。
なぜ生きているうちに感謝の気持ちを伝えなかったのか?あなたと過ごした時間を思い出す度に後悔の念がギュッと胸のあたりを締めつけ、手足の力が抜けてしまいます。目の前にある当たり前になってしまっていることに、日々感謝をし、伝えることの大切さを痛いほど知りました。
わたしが知るかぎり、あなたは気が強く頑固で何でも自分勝手に決めてどんどん突き進んでいくとても面倒で厄介な人でした。正直うんざりしたことも何度もあります。
ですが、決めたことを迷わずすぐに行動に変えるその力は、自分の人生を自分自身の手で力強く切り開いていくためにとても大切なものだと知りました。
わたしの中にもおばあちゃんから譲り受けた部分が間違いなくあります。
わたしの人生における重要なタイミングに、頑固で融通のきかない力強い自分を解放して生きる瞬間に、おばあちゃんのことを思い出し、楽しみ味わいながらがんばろうと思います。
あんなに気の強い印象のおばあちゃんでも、わたしたち孫には優しく接してくれて、温かく見守ってくれました。
わたしの奥さんにはじめて会ったとき、慣れない環境で緊張している奥さんに気配りをして優しく何度も話しかけてくれたそうですね。知りませんでした。
ほんとうの優しさとは、そういうことなんだと学びました。
ほんとうにありがとう。
あなたのおかげで、懸命に、前向きに生きることで、命がつながっていくのだと知りました。
わたしは、あなたがつないでくれた命を大切にして、あなたのように今を懸命に生きていこうと心に決めました。
いままでありがとう。大好きです。
これからも見守っていてください。
最後に、孫でありながら友のようにこれまでおばあちゃんに寄り添って生きてきたわたしの弟と、最後の最後までおばあちゃんと向き合い、おばあちゃんの中にある毒を逃げずにすべて受け止め、キレイな心になったおばあちゃんを看取ってくれたおじさんに、心から感謝致します。
大野晃義
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命はつながっていきます。
それは人と人のつながりです。
先祖に、
これまで出会った人たちに、
いま当たり前のように一緒にいる人たちに、
これから出会う人たちに、、、
どーしても忘れがちですが、感謝する気持ちを持って日々を過ごそうと思いました。