[これからのサラリーマンの働き方]本物の「コミュニケーション能力」とは?

 
会社組織で働くサラリーマンのビジネススキルの中で重要視される1つとして「コミュニケーション能力」が挙げられると思います。
「組織がウマく回るためにはコミュニケーションが必要だー!」なんてよく言いますよね。
 

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photo credit: Stéfan via photopin cc

 

一口に「コミュニケーション能力が高い」というと、ただ単に「しゃべるのがうまい」とか「人付き合いがうまい」とかということが頭に浮かんでしまいます。
もしくは、サラリーマンで言えば「仕事が円滑に進むような人間関係を作れる」とかそういうことでしょうか?
 
どれも間違ってはいないと思いますが、、、何か違うような、、、何か引っかかる感じがあります。

 

コミュニケーションとはそもそも何なんでしょう?
コミュニケーション能力とは一体どんな能力を指すのでしょうか?
コミュニケーションの必要性って?
 
少し考えてみたいと思います。

 

 

「コミュニケーション」の一般的な意味

まずはWikiで検索。
 
コミュニケーション – Wikipedia

「コミュニケーション」という語は多種多様な用いられ方をしている。
辞典類ではまず、人間の間で行われる知覚・感情・思考の伝達[1][5]、などといった簡素な定義文が掲載されている。
ただし、上記のような定義文では不十分で、一般に「コミュニケーション」というのは、情報の伝達だけが起きればが充分に成立したとは見なされておらず、人間と人間の間で、《意志の疎通》が行われたり、《心や気持ちの通い合い》が行われたり、《互いに理解し合う》ことが起きて、はじめてコミュニケーションが成立した、とされている、といった説明を補っているものもある。

 

最近は「コミュ障」なんて言葉もよく耳にしますよね。ついでに検索。
 
コミュニケーション障害 – Wikipedia

コミュニケーション障害(コミュニケーションしょうがい)は人間に身体的・精神的に不利を強いることとなる欠点が存しており、それを原因として社会などといった対人関係を必要とされる場面で十分なコミュニケーションをとることができなくなるという障害。コミュ障と略されることもある。

 

“人間と人間の間で、「互いに理解し合う」ことが起きて、はじめてコミュニケーションが成立したとされる”というのは結構シックリきました。
相手の立場に立って、自分のことのように考えられたとき、共感してくれたとき、その人の言葉は相手に伝わるのかもしれません。
 
でも、なんだろう?これは自分の考えを少し曲げて、極端に言えば自分の意見を殺して相手に合わせることで、成立しているような感じもします。
まあ、何とも思わずに譲れるのであればそれはそれでいいんですが、その人にあまり思いや意見がない、ということですよね。
そりゃ、どっちかが少し我慢するだけでその場は穏便に進むし、あたかも良いコミュニケーションが取れたような雰囲気にはなります。
ん〜…..これってコミュニケーションって言うんですかね?
一方通行な感じもします。

 

 

家入一真(@hbkr)さんが語る「コミュニケーション」の意味

色々と悩んでいたら、家入一真(@hbkr)さんのツイートで、衝撃的で考えさせられるこんなつぶやきを偶然発見しました。
 

 

私は最初このツイートに面食らってしまって、「この人何言ってんだ?」って思ったんですが、よくよく考えてみるとコミュニケーションの本質というか真理というか、的を得ているな、、、という思いに至りました。
 
だって、正直言って他人のことを完全に理解するなんて絶対にできっこないですもん。
表面的には言っていることは自分の経験に当てはめて何となく理解できるかもしれませんが、その言葉が、その人の人生にどんな背景があって、どんな気持ちで、どんなしがらみがあって、本当はどんなことを伝えたいのか?なんて、もしかしたら本人にも分からないことかもしれませんよ。
ましてや他人が絶対理解することなどできない。
そういう意味で「人は決して分かり合えない」と家入さんは言っているのだと思います。
 
そこで、「じゃあ分かり合えないから」って終わってしまえばコミュニケーションになりません。
ここからが重要だと思うのですが、「分かり合えないことを認めたうえで、自分の態度を明確にすること」がコミュニケーションだと言っています。

 

 

「コミュニケーション」とは「分かり合えない」ことを前提とするもの

これは一見、とても悲しいことのように感じますが私はこう考えます。

 

例えば完全に分かり合える関係があれば、それはもうコミュニケーションではなく、「つながっている」ということ。
この場合はきっと言葉や文字を使って「伝える」ということは必要ない。
つまり意識的なコミュニケーションというものが必要ありません。

 

コミュニケーションが必要なのは、「分かり合えない」場合です。
「分かり合えない」から、自分の気持ちを言葉や文字を使って「伝えたい」ワケですよ。

 

そして「伝える」というのは、つまり「自分の態度を明確にする」ということなんです。
そこに自分の気持ちや態度がなければ伝わるわけがないです。相手の顔色を気にして言いたいことを言わないのなら、「伝えられない」のです。
伝わらなければ、すれ違いばかりで不信感が溜まるだけ。
 
はっきりと「自分の態度を明確にする」ことで、はじめて「伝わる」し、不信感が解消されていく。

 

コミュニケーションとは、「自分の態度を明確にする勇気を持つこと」なんですね。
 
態度を明確に示すことで、目の前から去っていく人もいるかもしれません。
逆に思いが伝わり、相手の心を動かしたり、引き寄せた、ということも絶対にある。
 
相手がどう思おうと、少なくとも変な不信感は解消できます。
そしてそれによって相手の自発的で主体的な行動が生まれるのだと思います。

 

 

「本物のコミュニケーション能力」とは?

本物のコミュニケーション能力とは、
 

分かり合えないという前提を理解すること
伝えたい思いがあること
自分の態度を明確に示せること

 
ではないか、という結論に至りました。

 

相手の反応を恐れず、自分の中にある思いを伝える。
離れていく人がいてもそれはそれで仕方ありません。
でも、その思いに共感して行動を変える人も中には絶対にいるハズです。

 

 

現在の多くの会社では、組織の構造上「コミュニケーション」ではなく「指示・命令」の一方通行になりがちです。
不信感が溜まりに溜まっている組織には、そういう意味で「本物のコミュニケーション」が必要です。
お互いを信頼し合うために、自分に正直になって、恐れずお互いが自分の態度を示すことからはじめること。
「好き」でも「嫌い」でも「やりたい!」でも「やりたくない…」でもいいんじゃないでしょうか?
私はそこからはじめればいいと思います。
 
コミュニケーションが必要な理由がなんとなく分かってきました。
 
それでは。
 
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ABOUTこの記事をかいた人

東京都北区出身。 これまでの経験と読書遍歴を活かして、現在は動画制作・コミュニティー運営・速読読書会開催・YouTubeチャンネル運営・オンライン講座を通じて、人が自らの才能を発揮し自由に生きるためのサポートをしています。