理不尽こそが人生をより楽しく回していく原動力

 
世の中にある「理不尽さ」に直面したとき、納得ができなくなって、嫌になって、「自分らしく」生きたいと思うことがあります。でもそのとき同時に「自分らしさ」ってなんだろう?と、深く考えさせられます。
 
medium_2300881960
photo credit: Jim Blob Blann via photopin cc

 

理不尽さと自分らしさって表裏一体で、その中に身を置くからこそ、自分が見えてくるもの。理不尽さを感じなければ、そもそも自分らしさってなんだろう?なんて考える必要ないのです。

 

スポンサードリンク




 

 

良い諦め

「世の中は理不尽なものである」というのは、その理不尽さを何度も何度も味わって、それでも乗り越えてきた人がある種の「諦め」を悟ったときに出てくる言葉です。この諦めは、私は良い意味で使用しています。何かを超越した諦め。
それは、理不尽さにぶつかったときにその怒りや疑問にまかせて何度も全力で立ち向かっていくことで得られる「良い諦め」です。
 
この「良い諦め」は、悩んで悩んで悩んで、究極にネガティブな思考に陥ったあと、それでもそこには自分の実現したいことがある、という時に生まれます。「今現在の自分には変えることのできない大きな何かがある」ということを認識して受け入れて、その制約の中でいかに自分のやりたいこと、実現したいことを織り交ぜながら、前向きに取り組んでいくか、という意識のことを指しています。
 
そしてこれこそが、どんな状況でも前向きに生きる術であり、人生を楽しむ方法であり、アイデアを生み出す思考力が養われる体験なんじゃないかと、最近何となく思います。制約の中で前向きに生きようとするからこそ、良いアイデアが生み出される。

 

 

悪い諦め

例えば、逆のパターン。変な意味で理不尽を受け入れてしまい、「悪い諦め」をしてしまった場合は、それは常にエネルギーを使わずに受け流すということにつながります。無思考で、人の意見に左右され、その通りにやって責任逃れをしていればいい、という諦めです。どうせがんばったって…という諦めは、思考停止につながり、現状を切り開くアイデアは絶対に出てきません。

 

 

理不尽を受け入れて楽しむこと

言い方が悪いかもしれませんが、考えないというのは、人間としてある意味死んでいるのと同じなのかもしれません。「人間は考える葦である」とは良く言ったもので、人間は自然界の中で最も弱いひとくきの葦であり、理不尽を受け入れて、その苦悩の中で考えながら前に進んでいくからこそ人間なのだ、ということです。

 

結局は、今のこの状況をどう楽しむか?という話に尽きると思っています。
現状を、選んだ道を、受け入れた上で、どう楽しむか?
自分が楽しくなる方法はたくさんあるはずです。どんな些細なことでもいいからそれを織り交ぜてみる。
自分の成長に喜びを感じるのか、人との触れ合いが嬉しいのか、モノを作るという行為に楽しさを感じるのか、必死にがんばることが満足感につながるのか、それは人それぞれです。
 
「仕事とはこういうものだ」「〇〇はこういうものだ」なんていうつまらない偏見は捨て去った方がいいと私は思います。仕事なら、会社が持っている目的に沿ってさえすれば、ある意味なんだってありなんです。だから、どうしたら現状は楽しくなるかを考えて、それを仕事や生活のなかで小さくても実現してみる。その意識が、理不尽と向き合い、良い諦めをもって、常に考えてアイデアを生み出していくことにつながります。

 

 

そう考えると、理不尽を感じるからこそ、人は考え、人生をより楽しいものに変えていけるとも言えますね。苦労話ほど、後から語って楽しいものはないのです。

 

「企画が必要なのは、企画によってつまらない仕事が面白くなるからです。」
「面白くないことを面白くしていくのが企画力で、それにはひと工夫が必要です。」

 

と、以下の本では書かれています。
 

 
まさにこれですね。

 

あなたの「人生の文字盤」が見つかることを願っています。
それでは!
 

ABOUTこの記事をかいた人

1980.1.1 東京生まれ YouTubeチャンネル『シンプリィライフ』では、本を参考にしながら無意識の思い込みから自由になる方法をアニメーションで解説しています。本業は古本買取サービス「バリューブックス」のSEOマーケティング担当。