「仕方ないよ」が口ぐせになっているあなたが、もうこれ以上自分をすり減らさずに生きていくために知っておきたいこと。

 
組織の中で働いていると、だんだんと少しずつ、そして無意識に、自分の想いや主張を諦める方向に進んでいってしまうと感じるのはぼくだけでしょうか?所属している組織が大きければ大きいほど、その方向に向かわせる力は強くなるような気がします。

 

で、それが働くということで、「生活するために」仕事をしているんだから仕方のないことだと、ぼく自身思いはじめていました。

 

それで良かった時期・時代も確かにあったのですが、今は多くの人が本当に求めていることと、社会や組織が人に対して押しつけようとしている価値観がちょうどぶつかりあう苦しい時代なのかもしれないなぁ、としみじみ考えます。

 

なんか、、、もうおっさんやん笑。
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「大きなシステム」と「カイシャ君」による力

 
そういうモヤモヤ感を、共感できる納得できる言葉にして説明してくれている素晴らしい本に出会いました。

 

ゆっくり、いそげ」の著者である影山知明さんは、本の中でこんな表現をされています。

 

・・・これはあくまで一例だが、生産や取引の効率を極限まで高めようと思えば、より大きなものへと統合し、「規模の経済」を働かせようとするのが論理的な帰結だ。

 

そうして「大きなシステム」が形成されるその過程で、「特定の人にとっては大事だけれど、普遍化しにくい」ような価値は取引の対象ではなくなり、その居場所をなくしていく。

 

「組織」としての参加となると、その組織内部の合意形成という問題が出てくる。そうすると「なぜその価値が大事なのか」という判断についての説明を求められるようになる。そうすると「客観的に説明可能な」価値は支えられるかもしれないが、そうでないものは難しくなる。

 

 

 

また、「会社の品格」の著者である小笹芳央さんは、会社の中に形成される組織というものについてこんな風に書いています。

 

社会において、カイシャ君という存在が誕生しました。これは、みんなの欲望を実現するための装置として、人間が発明したものです。このカイシャ君は、経済合理性だけで動く性質があって、しかも社会のあちこちを動き回る。そして、どんどん影響力を増しています。

 

実際、経済合理性だけで長く活動を続けていると、組織はそれ以外の軸を捨てながら動くようになります。他の価値観を受け入れなくなっていく。一個人として「おかしいのではないか」「やってはいけないのではないか」と感じても、それを表明できない”空気”や”体質”が着々と出来上がってしまう。

 

やがて、その中に社員が溶け込んでしまい、最後には、間違っていることに対して「おかしい」と感じることすらできない社内独自の集団的規範が生まれ、社会とはズレた暗黙の文化が形成されてしまうのです。

 

会社の品格 (幻冬舎新書)

会社の品格 (幻冬舎新書)

  • 作者:小笹 芳央
  • 出版社:幻冬舎
  • 発売日: 2007-09

 

「大きなシステム」「カイシャ君」。
2つとも表現の仕方は違えど、伝えたいことは同じなのではないかと。

 

組織によって形成される常識の中では、あがらうことができない力が働いている気がしてきて、「仕方ないよ」という言葉で自分の世界が満たされていきます。

 

そんな流れを感じると、仕事をするということは、一個人としての純粋で率直で素直な想いを失う代わりにお金を稼いで生活をしていくためのものなのだと勝手に納得しはじめ、自分がすり減っていく感覚もないままに年月を重ねてしまうのではないかと思うんです。

 

 

純粋で素直な「想い」が失われていく危機感

 
ここで「ゆっくり、いそげ」の言葉を引用します。

 

現代社会でシステムが徹底すると、人は考えなくなる。システムの要請に沿って決められたように振る舞うことしかしなくなる。

 

求められるのはシステムの忠実なしもべであり、操作者(オペレーター)だ。システムの目的に沿って、ときに自分の心を「殺す」ことさえ憚(はばか)らない人。

 

そうしたシステム操作者としての日常を送っているうち、気が付けば「自分が何が好きか」「自分が何を美しいと思うか」に答えられなくなっていく。

 

ぼくは、まさにこのような流れに知らず知らずに乗ってしまっていた自分を自覚し、いま焦りと危機感を感じまくっています。

 

安定した生活と引き換えに自分の純粋な想いにフタをして見えないようにして、自分を少しずつすり減らしていたことに気づき、恐ろしささえ感じます。

 

 

想いが失われていくことはなぜ良くないのか?

 
「システムの忠実なしもべ」となり、個人として持っている想いを失っていくことがなぜ良くないのか?社会の歯車の一部として役割を全うするために我慢することは良いことではないのか?と言われると、その生き方に心から納得している人にはまったく反論できません。

 

ですが、ぼくはこう思ったんです。
自分を犠牲にしながら、自分をすり減らしながら、歯車の一部として周囲の動きに合わせて、ギシギシしながら「動かされる」状況に我慢できる人、継続して耐えられる人は、よっぽど意志力が高いか、もしくは頭のネジがぶっ飛んでる人である、と笑。

 

経験として、普通の人であればあるほど、ぼくのような凡人であればあるほど、「システムの忠実なしもべ」になってしまえば、いつか辛くなり、やらされ仕事を嫌々やるようになる。

 

そして他人事で個人主義になり、関わる相手を無意識に「利用しあう関係」と位置づけながら、本来自分が持っている力を発揮しなくなり、最終的に生活するためにお金のために今の仕事に執着するようになっていくんだろうなぁと。

 

そして、「誰かが喜ぶこと」「誰かのためになること」をしながら「自分自身も喜ぶ」という「本当の仕事」と言える場所から遠ざかっていくのではないかという危機感を持つようになりました。

 

だから、どんな状況であろうと、システムが従うことを暗に要求してこようとも、自分の純粋な想いには敏感に反応しながら、「本当の仕事」を探しながら生きていく方法を見つけなければ!と自覚したワケです。

 

 

ヒントは自分の「本当の仕事」を探す過程にある

 
だから、「仕方ないよ」が口ぐせになっているあなたは、ぼくと同じように要注意なんです。

 

ぼくは今、これ以上自分をすり減らさずに生きていくために必要なことを少しずつ見つけている最中です。そして、見つけたものを同じように悩んでいる誰かに伝え、一緒に「すり減らない自分をつくり、生きていく」こと。もしかしたらそれはぼくの仕事なのではないかと思いはじめました。

 

そう思えたキッカケは、榎本英剛さんの「本当の仕事 自分に嘘をつかない生き方・働き方」という本。
 

本当の仕事  自分に嘘をつかない生き方・働き方

本当の仕事 自分に嘘をつかない生き方・働き方

  • 作者:榎本 英剛
  • 出版社:日本能率協会マネジメントセンター
  • 発売日: 2014-12-19

 

以下引用。

 

人が精神的な豊かさを実感するうえで書かせないのが「存在意義」。
モノの時代においては、仕事とは「生計を立てるための手段」だというとらえ方が支配的であったが、ココロの時代においては、仕事とは「自らの存在意義を探究し、それを表現すること」だというとらえ方が必要になる。

 

モノの時代には、仕事とは「やりたいくないことをやる」ことだというとらえ方が支配的だったのが、ココロの時代には逆に、仕事とは「やりたいことをやる」ことであると、とらえ直す必要があると私は考えています。

 

自分の心の底から自然に湧いてくる「これがやりたい」という気持ち、すなわち純粋意欲に素直にしたがうことが自分のもてる可能性を最大限に発揮することにつながり、それがひいては世のため、人のためとなって、自らも己の存在意義を強く自覚できるようになるわけです。

 

自分が好きで、心から喜びを感じられるような「やりたいこと」をやることが、結果「誰かのため」につながっていく。それこそが、きっとぼくやあなたの「本当の仕事」なのです。

 

上にも書きましたが、そうやって自分が心から好きなこと、心からやりたいことを見つけ、「本当の仕事」を見つける過程にこそ、「すり減らない自分をつくる」ヒントが隠れているのだとわかりました。

 

 

小さなファンタジーを見つけよう

 
じゃあどうやって「本当の仕事」見つけんのよ?って話ですが、そのためには「仕方ない」と言って、自分の純粋な感情にフタをしてしまって見えなくなってしまった「純粋意欲」を、一つずつ見つけていくことが大切だと「本当の仕事」には書いてあります。

 

これは、「ゆっくり、いそげ」の中で語られている「小さなファンタジー」を見つけることの大切さと通じる部分でした。

 

日々自分をすり減らして「生活」していると、知らず知らずのうちに見えなくなっていく想い。そんな「小さなファンタジー」を拾い集めることが、「本当の仕事」を見つけるヒントになる。

 

純粋に好きとか嬉しいとか楽しいとか、心地良いとか気持ちが良いとか、美しいとか感動しちゃう、というような感情を逃さず拾っていくことで、子どもの頃素直に感じることができていた「理由はないけど自然と体が動いてしまうこと」=「ファンタジー」を目覚めさせることが、今何より大切なことなんだ!とわかったら、何だかそれだけで涙が出るほど嬉しくなりました。

 

これは以前に影山さんに会ったときにもらったサイン。
ミーハーとは思いつつも、大事なものをもらえた気がして満たされています。
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<参考記事>【本】「今日という日を生きれてよかった」そう思える毎日を生きたい。

 

 

大きなシステムと共に、ワクワクしながら生きていく

 
話を少し戻しますが、資本主義社会における「会社」は利益を追求する集団であることが目的で、それには良い面も悪い面もあります。

 

世の中で価値と感じてもらうことを必死に考え、生み出すことで誰かが喜び、誰かの助けになっているからこそ、「お金」というものが対価として得られるのは間違いありません。

 

それを繰り返して世の中はより良く発展してきたのも間違いなくて、ぼくはその恩恵を受けまくって、何不自由なく豊かに平和に暮らさせていただいております。改めて感謝ですわー!笑

 

でも、少しでも間違ってしまうと、儲からないことやお金にならないこと以外は価値とは感じられなくなってしまいます。そこで働く人が感じる価値はとても多面的なのに、それらは理解されず、想いは言葉にもできず、結果的に人が利益を追求するための手段になっていってしまう。それはなんか悲しいなと思ったワケです。

 

 

そんなことを考えながらも、「本当の仕事-自分に嘘をつかない生き方・働き方-」の中で見つけたこんな表現が心に響きました。

 

私はむしろ、世の中の人が1人残らずやりたいことをやっている世界というのをぜひ見てみたいと思っています。もしもそんな世界が実現したら、世の中はどうなるだろうか、その中で生きる人たちはどうなるだろうか、ということにとても興味があります。

 

「皆がやりたいことをやったら、世の中が回らなくなる」と言いますが、そもそも今の世の中はうまく回っているのでしょうか?私にはとてもそうは思えません。もしかしたら「皆がやりたいことをやらないから、世の中がうまく回らない」のではないかとさえ思ったりもします。

 

まとめると、大きなシステムは失くしてしまえばいいものではなく、上手く付き合いながらやりたいことをやれる人が増えていけば最高やん!ということです。

 

 

まとめ

 
ずっと以前に、仕事をしながら「1人ひとりが自分の想いを解放して、自分にしかできないやりたい仕事をやりながら力を合わせたらどうなるんだろう?」とワクワクしていたことを思い出しました。

 

ぼくを含めた多くの人が、考えはじめる順番をちょっと間違えているだけなんだな。
「大きなシステム」とうまく付き合いながら、1人ひとりが想いを大切にしながら生きていく。そんな世界を目指してみる価値はあるし、そうやって生きている人たちは今たくさんいるんだから実現できるハズだと、今は勇気を持てています。

 

とにかくまずは自分からです。
まずは自分が「本当の仕事」を見つける旅を通じて、自分を癒す過程で得た経験から、誰かのためになる事を広げていこうと決めました。
 
ファンタジーの力を信じて。

 

 

それではー!

 

ABOUTこの記事をかいた人

東京都北区出身。 これまでの経験と読書遍歴を活かして、現在は動画制作・コミュニティー運営・速読読書会開催・YouTubeチャンネル運営・オンライン講座を通じて、人が自らの才能を発揮し自由に生きるためのサポートをしています。