小諸市初の認知症コミュニティーカフェ(オレンジカフェ?ともいうようです)がもうすぐ始まりそうです。
この前に引き続き、場違いながらも「一般人代表」として打ち合わせに参加してきました!笑
<参考記事>「誰もが当たり前に暮らせるまちづくり」は、小諸市に誕生する認知症介護カフェ「あいおいテラス(仮)」から始まる。
打ち合わせに参加される人数が以前より増えており、ふとぼくが感じたのは、みなさんの場を作る気持ちも盛り上がってきている、ということ。
みなさんどんな場所にするか、何を持ち込んでどんなことするか、そして自分たちの持ち場にある課題をどうやってこの場につなげて解決していこうか、アイデアを持ち寄って楽しみながらワクワクしながらの打ち合わせだったんじゃないかと思います。
しかも!
「御代田産の白菜を大量にもらったから作った!余っちゃうから食べて!」ということで、温かくて美味しい白菜スープがみんなに大量にふるまわれました。
認知症カフェに最も必要なこと
認知症カフェと言いつつも、この「あいおいテラス(仮)」は認知症であろうが、障害者の方であろうが、精神疾患を持っている人であろうが、健常者であろうが、大人であろうが子供であろうが高齢者であろうが、誰でも気軽に立ち寄れる場所にしたい、とこのカフェを立ち上げたケアマネージメントオフィス・ノアの代表である勝俣さんは言います。
「人とのつながりが大切」って、最近みんないろんなシーンで口々に言うようになったけれど、それがこの認知症カフェにとってどれくらい大切なことなのでしょうか?
調べてみると認知症の方も人との関わりの中でなら穏やかな状態であるという調査結果があるんです。
この本から重要な部分を、長くなりますが引用します。
真喜屋先生は村の(沖縄の)65歳以上の老人708名(男268名、女440名)全員について精神科評価を行ったのですが、明らかに「老人性痴呆」と診断できる人が27名(全体の4%)で東京での有病率と変わりません。しかし全症例を通じて、うつ状態や妄想・幻覚・夜間せん妄症状を示した人はいなかったのです。
これは当時の東京都の調査結果と比べると信じがたい知見です。東京では「痴呆老人」の2割が夜間せん妄を現し、半数に周辺症状がありました。また沖縄ではうつ状態が全く認められなかったが、アメリカでは痴呆の4分の1から半分にうつ状態があると報告されています。
杉並と沖縄に見られた、周辺症状のない穏やかな痴呆状態(学術用語では単純痴呆と呼ばれますが、わたしは「純粋痴呆」と呼んでいます)をもたらした要因は何でしょうか。真喜屋先生は、このように考察しています。
「佐敷村のような敬老思想が強く保存され、実際に老人があたたかく看護され尊敬されている土地では、老人に精神的葛藤がなく、たとえ器質的な変化が脳に起こっても、この人たちにうつ状態や、幻覚妄想状態は惹起されることなく、単純な痴呆だけにとどまると考えられるのである」
これらの事例から推察されるのは、「痴呆」は被害妄想、夜間せん妄、幻覚、攻撃的人格変化といった周辺症状が現れない限り、「純粋痴呆」として平和的共存が可能であり、その現象は地域全体で実現できる可能性がある、ということです。
「痴呆老人」というと被害妄想、夜間せん妄、幻覚、攻撃的人格変化みたいなものを連想してしまいがちですが、医学的に明らかに痴呆であると診断される人でも、周囲の人の接し方によってそれらの嫌悪感を抱く行動は発生しないというのです。
つまり、社会に流布した誤解や偏見そのものが、「痴呆老人の嫌悪感を抱く行動」を生み出しているということになるのです。
あービックリ。笑
おそらく専門家の人たちはそれをよく知っているから、難しいかもしれないけど認知症の方々とどのように接した方が良いかを心得ています。で、認知症カフェに専門家から素人からもうたくさんのジャンルの人たちが関わるようになれば、誤解や偏見を解消しながら、認知症の人たちとの平和的共存が実現できちゃう可能性が広がるということなのです。
つまり、認知症カフェには色んなタイプ・ジャンル・世代の人たちが集まる場所になることが一番大事で、そこを目指すことは、「誰もが当たり前に暮らせるまち」に向かい、本質的で大きな課題解決につながっていくのではないかと思うんです。
多くの人がつながるためには?
で、大人も子供も高齢者も、色んなジャンルの人たちが集まるためには何が必要なのか?と考えてみると、周囲で起こっていることを「自分には関係ない」と面倒くさがってしまうぼくみたいな30代の普通のサラリーマンみたいな人たちが、自分の親・自分・自分の子どもについて自分事で考え、行動し始めることが重要なんだろうなと思うんです。
子どもたちと高齢者をつなげるのは、一番自分事になれるのに一番自分事になる事を避けている30代40代だと思います。次の世代を担うカギを握る世代が本気になる事でできる事がたくさんあるんじゃないかな、、、と。
まとめ
そうなんです。きっと社会はぼくたち30代の力を必要としているのです!(と思い込みましょう笑)
目の前で起きていることにもっと敏感になり、目をそらさずに、腹をくくって自分事になって解決してみようと考えれば、アイデアもできることも楽しみ方もつながりも、たくさん生まれてきそうな予感がしています。
小諸市の認知症カフェを立ち上げようとしている勝俣さんが、こんなことを言っていました。
「認知症の人といると、落ち着くし、癒されるし、励まされるんです」
こういう素敵な気づきにたどり着くためには、とにかくまずは認知症の人たちとたくさん接することです。そのために認知症カフェが生まれるのだと感じました。
偏見によって行動を抑制されるなんてもったいない。
順番が逆で、経験・体験を積み重ね、偏見を捨てていくことで、きっと素敵な世界が見えてくるハズなのだ。
それでは〜!