最近離婚したという後輩とラーメンを食べに行きました。
そいつは一見、俗にいう「チャラ男」で、「離婚?まあそうだよね」的な雰囲気を醸し出しています。
ほら、ね。笑
ですが話してみると意外と真面目で、本とか小説も読んだりしています。
聞いていると、見た目だけでははかることのできない事情やら感情やら哀しみがあり、ぼくも考えさせられました。
感じたことをまとめてみます。
男は女々しく過去にすがり、女は現実を強く生きる生き物
男は情に弱く、相手の中の情を信じて、しばらく情にすがります。
別れることになったけれど、これだけ一緒にいたんだから相手にも寂しさのような感情はあるだろう、と。
だけど女は強く、現実を生きます。
過去にすがりません。弱肉強食の厳しい世界に生きる野生動物と同じように、過ぎ去った過去はすぐに忘れ、前だけを見て力強く踏み出していきます。
思い出して欲しい、記憶に残って欲しい、と願うのは男の弱さ。
それを見せないために、強がって、見栄を張って、カッコつけたがるのが男です。
近すぎるほど憎しみ、離れるといとおしさに気づくもの
近すぎる関係では見えなくなるものがあります。
一緒に暮らして、心も体も近すぎる関係にいるとどうしても「部分」にフォーカスしてしまい、「全体」がわからなくなってくる。
ところが、離れてみるといろんな想像が巡ります。
いままでやってもらっていたことを自分でやることになったとき、ただそこにいてくれるだけでもらっていた心の安らぎ、日常にあった幸せ、、、
近くにいるときに気づくのは本当に難しいこと。そうなってみないとわからないことです。
でも、自分が傷つくことを恐れずに、そうなってみて気づけたことは、人生においてとても貴重な経験なのかもしれません。
男と女はmax20%しか重なり合わない生き物
これはほんまでっかTV情報ですが、男女で同じ考えの部分が20%あれば良い方だそうです。残り80%は絶対に分かり合えない部分。そんな男女が、「夫婦なんだから分かり合えるはずだ」「家族なんだから分かり合えるに決まっている」と信じているのがまずそもそもの間違いです。
相手のことなど絶対に理解しきれない、分かり合えるはずがないという前提で、相手を理解しようと努力することが必要なのです。夫婦だから、家族なんだから、なんていう前提が間違っている。そもそも育った背景は全く違う人間で、しかも男と女は性質も生き方も考え方もまるで違うのです。
本音を言い合うのは「共通の目的」についてだけにする
これもほんまでっかTVで話されていたこと。
本音を言い合うのはいいんだけど、上に書いたように夫婦が重なるのは最大で20%の部分なんだから、すべてを本音でぶつかり合っていたら関係はいずれおかしくなってしまう。だから、共通の目的についてのみ本音を言い合いなさいと。
日本において男女が一緒になって夫婦になる1つの目的は、「子どもをつくって良い家庭を築くこと」であるとすると、夫婦は家庭をより良くしていくための本音だけを言い合えばいいのです。
究極はお互いのすべてを認め合える関係
お互いを好きで好きで一緒になったわけですが、近すぎるといろいろなものが見えてきます。
日常を漫然と生き、当たり前の幸せを噛み締める余裕がなくなると、フォーカスする部分が「好きな部分」からだんだんと「嫌いな部分」に移っていくこともあります。
ですが、本当はお互い好きなのです。
相手の全体が好きなはず。
本当は、好きな人が、好きなことや楽しいことをして喜びを感じているというシーンは自分にとっても喜ばしいことなはずなのです。だけど、なにか気に食わなかったりして相手を責めたりしてしまう。
本当に好きなら、相手がどんなことをしていようとも認められるはずだし、楽しんでいることが嬉しく思えるハズ。そんな関係を築きたいなと思いました。まあ、この境地に達するには悟りが必要でしょう笑。
後悔しないように生きる
うっとおしいほど元気だった人が、重い病にかかって急に元気が無くなってしまうことがあります。
なぜ、、、と思っても起きてしまったことに逆らうことはできないし、結局は起きたことを受け入れて生きていくしかないのですが、どんな風になるにしても、どんな形で死のうとも、その瞬間に後悔したくはありません。
どんな状況でも、過去を振り返らず、「いま、ここから先」を見据えて一歩一歩前に踏み出していくことが大切。
自分で選び取ったいまを生きていて、あらゆる可能性の未来から何を選ぶかは自分自身に委ねられています。
これを言ったら相手との関係が壊れるかもしれない、こんなことしたらやられる、、、(笑)
相手に気に入られることや波風立てないようにすることばかり考えて、自分で選んでいるということを忘れて、自分が何かをできないことを何かのせいにして、不満を言いながら人生を他人事で生きるのはやめましょう。
自分の人生は自分が選んでいるという事実を、常に確認する必要があります。
相手を理解しようと努力しながら「自分の人生は自分で選んでいる」という意識をしっかり持って、後悔しないように生きること。お互いが、ひとつひとつ、後悔しないような選択をしながら今を精一杯生きることが大事だと感じました。
まとめ
離婚も大きくみれば経験です。
日本は、添い遂げられない男女を「我慢ができないヤツらだ」と非難する傾向が強いような気がしますが、そんなことを言う人達は心の底から、「我慢する人生」を生きたいと思っているのでしょう。ぼくには理解できませんが。
分かり合おうとする努力はもちろん大切です。
ですが、相手の好きなところ表面的な部分しか見ていない時期には知り得なかったことが、一緒に暮らしてみると見えてきたり、近すぎるからこそ新しく生まれる関係もあれば、子どもができれば大切なものが増えて考えが変化します。
だから、その夫婦にしかわからないことがある。他人がとやかく言うことなどできないのです。
一緒に暮らすと覚悟して始まった生活だし、こんな社会、こんな文化で育ってきたのだから、離婚をするということに何のためらいもない人などほとんどいないのではないかと想像を巡らせます。
大きな決断をした2人を温かく見守りながら、自分の人生と夫婦関係を見つめ直す良い機会を、チーズミソラーメン1杯をおごることでもらうことができました。
ぼくは、我慢するために生きているわけではありません。
我慢してお互いの人生を諦めることなく、家庭をより良くするため、お互いの人生をより良くするためにどうしたらいいかを本音で話し合える夫婦関係を目指したいと思いました。
家族や夫婦について悩んでいる方、離婚について考えている方、こちらの2冊は考えさせられる良書ですので是非。
それではー!