【自分らしさ】自分らしさは他人の中にあるもの

 
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自分はなんて無力な生き物だろうと思う。
どうがんばったって、あがいたって、どーしても変えられないことがあるし、相手に何かをしてあげたくてもなんにもしてあげられないことがたくさんある。

 

無力で、苦しいことがたくさんある。
世の中は理不尽なのだ。

 

我慢して我慢して、イヤな経験が何度も何度も重なると、ついにはあきらめて、疑問や問題意識は消え去り、やりたい事や好きなことが蝕まれる。つまり自分自身が蝕まれていくということ。そうやって、日常の忙しさに追われながら、自分が何者なのかわからなくなっていくのかもしれない。

 

人は大抵の場合、他者との比較論・相対論の世界で生きていると思う。でも、つまりはそれによって「自分が何者なのか」わからなくなるのではないかと私は思う。誰かと比べれば、いくらでも上がいるし、いくらでも下がいる。どちらに行くかはその人次第で、結果成長するかもしれないし、成長しないかもしれない。

 

思うに、本当にすべてがうまくいく時というのは、誰かや何かと比較したりしてがむしゃらにエネルギーを使う時ではなく、自分自身が本当にやりたいことやなりたいもの、好きなものや幸せな気分になるもの、自分にとって大切なものを見つけ、それに向かって目の前の道を一歩ずつ歩くことができた時ではないか。

 

そうすると、世の中は理不尽なのに変わりはないのだけれど、世界を見渡したときの景色はまるで違うものになるハズ。「世の中は理不尽だな!」が「世の中は理不尽だにゃ〜」くらいになるのだ笑。

 

 

赤塚不二夫さんが亡くなったとき、タモリさんが言っていた言葉が今でもずっと心に残っている。

 

「目の前で起こるすべての事象をあるがままに受け入れる。これでいいのだ、と。」

 

赤塚不二夫さんは自分らしく、自分の大切なものを大切にして生きていたんだと思う。

 

 

人は、言われたり考えたからってそんなに簡単に自分の思い方を変えることはできない。でも、ものすごく楽しかったり、ものすごく辛い思いをして、他人と比較しようもない出来事に一回でも遭遇すると、自分の中にある大切なものを明確に自覚し、比較ではない「本当の世界」に気づくのかもしれない、と思う。

 

でも、、、
大切なものに気づかせてくれるのは、いつでも他人なのだとも思う。
もしこの世界に、たった1人で生きていたとしたら、自分はどうなっているのだろう?
そんなことを想像すると、誰かのために、他人のために、生きることの大切さや楽しさを感じずにはいられない。
世界を変えるとは、自分を変えるということなのだと、思った。

 

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あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!
 

ABOUTこの記事をかいた人

東京都北区出身。 これまでの経験と読書遍歴を活かして、現在は動画制作・コミュニティー運営・速読読書会開催・YouTubeチャンネル運営・オンライン講座を通じて、人が自らの才能を発揮し自由に生きるためのサポートをしています。