「こうしたい」と強く思ったなら、すぐに行動をはじめた方が良い。手遅れになる前に。
確かにそう思っているのに、なかなか行動に移すことができないことが今まで何度もあった。
ただ、コロナのおかげで親父に会えなくなって、母親や兄弟や友達ともなかなか会えなくなって「1年後には世界はどうなっているのだろう」と考えるようになってから、内面がかなり変化したように感じる。
きっと、自分だけじゃないと思う。
何が起こるかわからない世の中。お互い、いつ死ぬかわからない人生。
「もう、会えないかもしれない」
そう思ったとたん、できることはやっておこう、行動しなければ、という衝動が湧き上がった。
父との面会
「思ったなら行動しなければ」と思い立ったのは、コロナで寝たきりの父と会えなくなったことが1つの大きな要因だと思う。
私は長野県に住んでいる。
いままでは東京の実家に行ったらほぼ必ず会いに行き、こちらから投げかける冗談で笑ってくれる父を見て、握手をして体に触れることが当たり前のようにできていたのに。
同じ空気を吸っている実感、体温を交換し生きていることを確認し合う喜び。
コロナのおかげで、いままで当たり前だったことの有難さがわかった。
いまは、ホームの方々が忙しい合間をぬってLINE電話によるオンライン面会をセッティングしてくれるおかげで、元気に過ごしている姿を確認することはできる。
これも本当に有難いことだけれど、やはり、早く直接会いたいという気持ちは収まらない。
直接会ってみないことには、わからないこと、感じられないことがあるのだと、コロナは教えてくれた。
在宅勤務
私の勤めている会社には、東京で働く人たちが数人いる。
コロナ以前、彼らは月に1度は長野に来ていたが、いまはオンラインミーティングでしか会わない関係。
生きていることも、仕事をしていることも、画面越しにわかる。
でも、リアルに会うのと比べると、圧倒的に足りない「何か」がある。
オンラインミーティングと次のオンラインミーティングのあいだには、暗くて深い溝が横たわっている。
直接会わないと読み取れない情報は間違いなくある。
せめてオンラインで会ったときだけでも、相手の話をじっくり聞こう。
コロナのおかげで、以前よりも人の話を聴ける人間になったと思う。
コロナのおかげ
コロナのおかげで、当たり前の素晴らしさに気づいたし、少し先のことを見据えて行動できるようになったし、本当に望んでいることに向かって行動をはじめることができた。
ちょっと先の未来を見据えながら、当たり前のいまに感謝しよう。
それでは、またー!