次男が学校から持って帰ってきた自然観察の作文がスゴすぎたんです。
こんなもの見つけたよ だい:バス
だんご虫がだんご虫の上にのっているのを見ました。
おもしろくてすごかったです。
下のさかみたいなところからのぼって 上に上がっていて
はこぶのもむずかしそうで、おもそうでした。
どんどん上にのぼって 人がバスにのっているみたいでした。
バスのうんてん手さんのだんご虫が
「出ぱつします。」
と言っているように見えました。
こんな表現、ぼくにはできません。スゴすぎます。
親バカなのかな?と思ったけど、学校の担任の先生も「すごく良い」と言っていて、もう一度学校に持ってきて欲しいとおっしゃってくれました。
表現というのは本来自由なものです。だけどぼくたちは自分の持っている固定観念や偏見で物事を見てしまうクセがあって、「ここは言っている意味がわからない」とか「話の展開が唐突すぎる」とか本当にクソの役にも立たないつまらないことが頭の中を覆いつくし、つい口から出てきてしまうことがあったりもします。
そうやって、子どもの表現を抑えつけながら、同時に自分を「殺して」いることに気づかずに日々を過ごしている。
自分の心が感じたことを、自由に、気の向くままに、形にしてみる。
つたない文章でも、しどろもどろの言葉でも、下手くそな字や絵や音でも。
どんな形でも、体裁を気にせず思うままに表現してみること。
それって、生きる上でもっとも大切なことで、他の誰でもない自分自身がこの世界に存在した証を残すということです。
つまらない顔をしながら人の目を気にして辛そうに生きている(自分を含めた)大人に足りないもの。
恐れることも、恥ずかしがることも、他者を気にすることも、本当は必要ないのだ。
感じたままに表現できたとき、人は自由になる。
次男の素敵な文章に触れて、そんな気持ちになりました。
それではー!
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