こんちはー!大野です。
ぼくの人生に良くも悪くも多大な影響を与えてくれた方がもうすぐ退職するんですけど、その方が印象的なことをおっしゃっていてちょっと考えさせられたんです。
巡り合わせと言うものを考えることがある。
人は生まれて生きる時代を選べない。私の父達の世代の青春は戦争に焼かれた。その子である私達の世代は平和に生きることが出来た。この巡り合わせは幸運だったと言う他はない。
「巡り合わせ」とは今を生きる言葉
彼が経営者になってから、心機一転新しい手を打とうとすると歴史に残るほどの大きな出来事が起こり、その振りかざした勇気と覚悟はリセットを余儀なくされたそうです。知らないところでたくさん苦労されていたんだなあーと。
彼がここで言っている「巡り合わせ」というのは、「大変だ!」と髪の毛が真っ白になるくらい精神的ストレスを感じて大騒ぎしていたあの出来事は、大きな視点を持って振り返ってみれば、戦争に焼かれた親父の青春と比べてみればまあ大したことはなかった、ともぼくには読み取れます。
だって、平和な世の中なんですよ。彼はあこがれたドイツ製自動旋盤のシステマチックな動きを追い求める時間を手に入れることができて、仲間と一緒に成長しながら会社を大きくしていく経験ができたんです。お父さんの時代にそれを望んでも、絶対にできなかったことができた。
でも、だからといって彼のお父さんが不幸せだったとは思いません。歴史を知って、境遇を受け入れ、今を生きれて良かったと思った瞬間があったはずだと思うんです。子どもが生まれたときなんか、きっとそう思っていたはずです。
ジョブズとアインシュタインの名言
スティーブ・ジョブズのスタンフォード大学卒業式の伝説的なスピーチの中にこんな言葉があります。
未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで必ず繋がっていくと信じなくてはならない。 自分の根性、運命、人生、カルマ・・・なんでもいい。とにかく信じること。
また、アルベルト・アインシュタインの言葉にこんなのがあるそーです。
私たちの生き方には二通りしかない。 奇跡など全く起こらないかのように生きるか、すべてが奇跡であるかのように生きるかである。
ここから感じることは人それぞれ、その状況によって、さまざまだと思います。
「巡り合わせ」という視点で切りとってみると、「巡り合わせ」とは、目の前で起きていることをすべて受け入れて、自分の人生を自分事で生きるためにある言葉であり、「これも巡り合わせだ。仕方がない、、、」と言い訳をして自分事になることを諦めている自分を受け入れるための言葉ではありません。
目の前のことを受け入れ、つながることを信じて点を力強く描こうとすれば、きっとすべてが奇跡であるかのように生きることができるんじゃないかなと、「巡り合わせ」という言葉とジョブズとアインシュタインの名言から、自分の人生について想いを巡らせてみました。
自分の人生に他人事になってはいないか?
目の前のことに自分事にならなければ「点」を生み出すことはできません。
「しょうがないよねー」とか「誰それがいけないよねー」とか「会社が悪いよねー」とか「守るものがあるからねー」とか言って自分を表現することを捨てているのなら、自分のことを決めているのは他人であり、自分事ではないってことに気づきました。
まとめ
今、自分事になれるものはなんなのか?どうしたら自分事になれるのか?
それは会社という宇宙からみたら塵みたいなサイズの狭い範囲の出来事だけで考えるのではなく、もっと大きな視点で見つける必要があるなーと、お世話になった人の最期の言葉で決意を新たにしました。
今日も読んでいただきありがとうございましたー!
それではー!