タモリさんが常識や価値観をぶっ壊してくれるようなすごいことを言っていたみたいです。
坂爪さんのいばや通信で知りました。
あと愛な。愛はおかしい。愛は素晴らしいけれど、愛が達成されなかったら人を殺す。執着だ。愛はキレイなもんじゃない。「愛」と「夢」と「友達」を言う奴を俺は信用しない。みんな愛というと恋愛と勘違いしている。あれは愛ではなく恋。愛というのは神しか言えないことじゃないの。
「愛」と「夢」と「友達」を言う奴を俺は信用しない。by タモリさん: だだっこのおススメ情報
あと愛な。愛はおかしい。愛は素晴らしいけれど、愛が達成されなかったら人を殺す。執着だ。愛はキレイなもんじゃない。「愛」と「夢」と「友達」を言う奴を俺は信用しない。みんな愛というと恋愛と勘違いしている。 …
これ、とても心がざわつく「問い」ですよね。
自分の身近な生活を思い返してみると、考えることがあります。
人生の先輩の話
ぼくの人生の先輩が自分がずっと関わってきた会社についてこんなことを言っていたのを思い出しました。
ぼく:「この会社のこと、どう思ってるんですか?」
先輩:「嫌いだ。嫌いだけど愛してる。」
もう5年以上も前の話を思い出した。感情を揺さぶる問いにはスゴい力が宿ってる。
そしてこの言葉の意味が、タモリさんの言葉のおかげでやっとわかりました。
家庭での話
奥さんや子どもたちのことは愛してるんだろうな、というか愛してなきゃダメだよな的な感覚があり、意味もわからないのにいままで「愛している」と思い込んでいました。
「愛」っていいものなんだとずっと疑わなかったけれど、説明しろと言われても説明できなかった。なんか、大きすぎて紐解けない存在というかなんと言うか。ね、わかるでしょ?
でも、共に生きる人に対して「愛」を持つと、実際は「愛」という言葉から連想されるイメージとは真逆の方向に向かっていくんですよね。距離が近くなればなるほど、その人に執着します。相手を自分の色に染めようとし、不安から逃れるために束縛し、愛を押し付け、叶わなければ憎む。
本当はその人が大好きなのに。
これがまったくの他人だったらなんとも思わないことじゃないですか。
たとえどんなことがあっても、どうぞ好きなように生きてください。ぼくはぼくの人生を歩みますからー!と、最後は開き直れるんですけどね。
愛とは執着である
大好きなのに、憎しみの感情が生まれてきたりすることがある。
こんなに「愛」しているのに、「愛」を返してくれない。
それは「愛」ではなく、「執着」です。
近づきすぎて、のめり込みすぎて、相手の本当の気持ちや自分の心がまったく見えなくなってしまう状態。
すべてを見失って暴走しはじめる一歩手前なんです。愛と憎しみは表裏の関係。
愛なんてわからなくていい
たぶん、愛なんてわからなくていいんです。
ただ、一時の感情に流されるのではなく、自分の心の奥底に静かに流れている想いを、少しだけすくってこの世界にふりまいてみる感覚を持てばいいのです。
目の前にある世界は、こんなにも美しく、心が震えるんだし、もうそれだけでいいんじゃないかな、とも思えてきます。田舎のパワーは素晴らしい。
自分の立ち位置や熱を冷静に意識し、正確な間合いを持って自分の本当の心を表現しよう。
自然体の、あるがままの自分で、目の前で起きていることはすべて正しいのだと受け入れよう。
明日のために生きるのでなく、今日のために生きよう。
目の前の好きな人を、ありのまま好きでいよう。
タモリさんの言葉で、世界の捉え方が変わりました。
それではー!