こんにちは!
信州上田の大野です。
昨日を振り返ったら、なぜ一歩を踏み出せないのか?どうしたら一歩踏み出せるのか?わかりました。
それでは、2017年1月11日を振り返ります。
自分だけで抱えない
昨日、バリューブックスの新年会で、瀬戸内寂聴さんの言葉を引用した「人はなぜ結婚するのか?」ブログが話題になりました。
瀬戸内寂聴さんに言わせると、「人は生まれるときも、死ぬときも孤独。そして、誰かと一緒にいるときでさえ孤独」なのだそうです。
参考:瀬戸内寂聴さんの話で、なぜ人は「結婚」するのか?がわかってしまった件。
相手も同じことを考えていると思っていても、まったく違うことを考えているのが人間。
大好きな人とセックスをしていても、相手の頭の中には自分ではなくマリリンモンローが思い浮かんでいるかもしれない、
「あなた」と「わたし」はどこまでいっても違う人、
人はどこまでいっても、どれだけ一緒にいても、何をやっても、同じにはなれない、
という話。
そう言われると、「人はみな孤独」という瀬戸内寂聴さんの話には納得しちゃいます。
でも、孤独だからといって協力し合えないわけではないですし、誰かと一緒にいることをあきらめる必要もありません。
むしろ、考え方やモノの捉え方がまったく違うから、素晴らしいコラボレーションが生まれることだってあるだろうし、「ただ話を聞く」という本当に小さなことでさえも、誰かの力になれることだってある。
孤独を受け入れるとは、「依存しない」と決めるということであると、ぼくは思います。
相手にに依存しない、その上で、自分だけで抱え込まずに誰かに自分のことを話し、協力してもらうことは人間だからできることですよね。
なぜ人は、小さな一歩が踏み出せないのか?
昨日は会議があったり、飲み会があったりと、多くの人とお話をする機会があって考えることや感じることがたくさんありました。
自分ひとりでできることには限界があります。
そして、やるべきだと思っていることでも、ひとりだと不安や恐怖が押し寄せてきて、どうしても「やらない言い訳」を探してしまう。
そういうのって、ほんの小さな一歩を踏み出すだけで、あとはどんどん進んでいく場合が多いのですが、やらない言い訳を探し始めたが最後、1ミリも前に進まなくなります。
さらなる不安や恐怖にケツを叩かれ、イヤイヤシブシブやることはあるかもしれませんが、もう前向きにはやれないと思います。
それがたとえ、周りの人にとっては「なんでそんな小さな一歩が踏み出せないの?」と思うくらい、アリの行列くらいの線であっても、当の本人にとっては日本から太平洋を超えてアメリカに行くくらいの、とても超えられなさそうな境界線に感じてしまう。
なぜ小さな一歩が踏み出せないのかというと、ひとりで考え始めたら何かしらの不安や恐怖がどんどん膨らんでいき、やらない言い訳を見つける脳にシフトチェンジしてしまうからだと、いまならわかります。
どうやって一歩を踏み出すか?
そんなとき、どうやって一歩を踏み出せばいいか?
噓いつわりなく、人に話せばいいのです。
悩みを、細かく細かくしながら話していき、自分が超えられない線を見つけていく。
すると、もしかしたら、「それならオレできるよ!」と言える人が出てくるかもしれない。
そしたら、一緒にやればいいのです。
誰かにとって超えられない線も、誰かにとっては超えてみたい線であり、飛び越えるのが楽しくてしかたがない線かもしれないし、線とも思わずいとも簡単に越えちゃう線かもしれない。
もしそうだとしたら、助かる人も、苦もなく助けられる人も、お互い嬉しいですよね。
仲間がいる、理解者がいる、親身になってくれる人がいる、寄り添ってくれる人がいるというのは、素晴らしいことだなと思いました。
まとめ
ぼくにはこれからやりたいことがたくさんあります。
それを、たくさんの人に話して、意見やアドバイスをもらえたら嬉しいなと思っています。
でも、それには注意が必要で、話をする相手の時間は有限であるということ。
相手に考えてもらうということは、脳をお借りする、エネルギーをお借りする、時間をお借りしている。
極端に言えば、命をお借りしているということです。
人とお話ができることに感謝しつつ、自分のことを話すなら、
「なぜやりたいのか?」
「どうやってやるのか?」
「課題はなんなのか?」
できるだけ整理をして、お話をしなければ失礼だなと思いました。
すぐにできるかはわかりません。
でも相手に感謝をすることだけは忘れないようにしようと思いました。
それではー!