最近よく思うのは、自分の両親の偉大さです。
ウチの親父も母親も、子どもに無関心というわけではないけど、自分の価値観や常識をあまり押し付けなかったように思います。
「こうでなきゃダメ」「こうするべき」「それが常識」のような言葉を与えられた記憶はあまりありません。私たち兄弟の、子どものころの利己的な自然な成長を阻害したりはしなかったのではないかと感じています。
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親になって思うのは、子どもが心配であるがゆえに子どもに干渉してしまうということです。まあ、これは子どもが心配だという大義名分を盾に、自分の価値観を押し付けていることが多い、というのが最近良くわかってきたのですが、、、
でも心配は心配。無関心ならどうなったっていいんだからほっとくでしょう。でもそんな親はあんまりいないんじゃないかと思います。
で、やっぱり子どものやっていることが気になってくる。どうしたらこの子は将来困らずに人生を歩むことができるのか、悩むわけです。そうすると、自分の経験からこうしたほうがいい、ああしたほうがいい、というのが引っ張り出されてきて、子どもに押し付けるわけです。
自分の子どもが気になって気になってどうしようもないのに、それをせずに見守り、必要なサポートだけをすることができる。励ましながら一緒に歩んでいこうと努力する。
これこそ、愛に溢れた「本当の親」ではないかと最近よく思うのです。
価値観の押し付けは、「それができなければお前には価値がない」というメッセージとなって子どもの心に突き刺さります。「自分という存在」が認められない辛さというのは、想像するだけで胸が締めつけられる思いです。
この子は、ただ、生きているだけで意味があって価値がある。
どんな親もそんな想いを必ず一回は経験しているはずです。
でも一緒に生きていると、それをだんだんと忘れていってしまうのです。
ただいるだけでいい。生きていてくれればそれでいい。
あのときの感覚を思い出すところから。
子育てはいつでもそこから始まるのだ!という心構えを常に持っていれば、きっと子どもはのびのびと自分らしく生きていけるようになると、私は思います。
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それでは!