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昨日(2013/12/22)は冬至だったようです。
奥さんのお母さんが、カボチャの煮物とゆずを持ってきてくれて気づきました。私にとって2013/12/22は、そうやって教えられなければいつもと変わらない日常だったと思います。
冬至というのは、1年で一番昼が短く、つまり一番夜が長い日だそうです。
「これ以上陰が極まる日はない=これからは陽に転じる」という中国の易経から「一陽来福(悪いことが去り、良い方向に転じる)」という言葉と結びつけられていたり、ヨーロッパでも太陽復活の祭りが行われていたりしたようです。
この記事から引用→「日没が一番早い日」ではない 冬至めぐる意外な事実|日本経済新聞
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昔は冬至は日照時間が短く、太陽からの恵みを受ける時間が短いことから、「死に一番近い日」と言われていました。そんなこともあり、その厄払いの意味を込めて、体を温め、無病息災を祈っていました。
この記事から引用→二十四節気「冬至」の基礎知識|nanapi
文化の違いなのか、ポジティブとネガティブ、両方の視点があるのが面白いですね。日本ではどちらかというとネガティブな角度から捉えた結果、カボチャを食べたりゆず湯に入る習慣に至ったようです。
カボチャはビタミンやカロチンがたっぷり入っており、野菜の少ない季節に栄養補給をして風邪の予防をする。ゆず湯は、血液の流れを良くする効果があるそうで、こちらも風邪を予防する働きがあるとのこと。「やられない」ように備えようということです。
ちょうど風邪を引いていた私としては、今年の冬至の習慣は「なるほど」と思わざるを得ない体験でした。
そんな習慣も、時代と共に忘れ去られていく存在なのだろうと、ふと思います。
言われなきゃ気づきもしなかったけど、そこには昔々より引き継がれ、多くの人々の習慣として息づいている理由があるのです。
人々の生活が成熟しつつある中で、当たり前すぎる日常に大事なものが抜け落ちて、中心にぽっかりと穴が空いていく感覚。
これは気にしなければまったく気づかないし、当たり前のように捉えていると大切さに気づかないものです。気づくと大切なものの大切さに気づいてしまい、抜け落ちてはいけないものをつなぎとめなければいけない、ような気になってきます。
昨日ゆず湯に浸かったとき、小さい頃にお風呂にゆずを浮かべて楽しんだ懐かしい感覚を思い出させてくれました。
私たちの生活から抜け落ちようとしている大切な感覚は、子どもの頃の記憶の中に潜んでいるのだと思います。
あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!