昨日は母の誕生日だった。
普段は遠く離れて住んでいるのだけれど、誕生日の日に、お互いが元気に生きている状態で、面と向かって会うことができた。
その瞬間よりも、1日経っていま振り返っているときの方が感動し、心が震えている。
父と母の阿吽の呼吸
ウチの母親は裕福な家庭に育ったようだ。
母のお父さんが亡くなったとき、ものすごい額の遺産を受け取ったらしい。
それをわたしの父はすべて使いつくして、脳梗塞になって、いまはベッドから動けず寝たきりの状態になっている。
よくもまあそんなに使い尽くせたもんだなぁと思うくらいの金額である。
欲望とエゴ
「それがいま少しでも残ってたらよかったのに…」
なーんてちょっぴり思ってしまったが、たぶん、いまの状態がベストなのだと思う。
自分はお金の使い方がヘタクソなところは父親譲りだと自負している。
たくさんあっても、全然なくても、どちらにしても「お金に苦労する」という課題はつきまとっていたハズだ。
無い方がいいから、いま無いだけ
もしお金がたくさんあったら、自分のためにすべて使い尽くしていたと思う。
もしたくさんのお金が最初からあったなら、何一つ学べないまま「0」に戻り、下手するとマイナスに振り切れてどうしようもない状態になっていたかもしれない。
もし母にたくさんの遺産が残っていたら、相続のときにエゴが出て、兄弟と敵対していたかもしれない。
自分の性格や特徴なら、あり得ることだと思う。
大馬鹿な父と、優しすぎる母のおかげ
苦しみながら学ぶことができること。
兄弟と敵対しないで済んだこと。
これらは、母が遺産の使い道をすべて大馬鹿な父に委ねてくれたから。
そして、父親が大馬鹿であったから。
どちらも優しくて、愛に溢れる素晴らしい人間で、そんな二人の子供に生まれてよかったと思う。
まとめ
そんな偉大なる母の誕生日に、お互い元気に生きたまま、面と向かってまた会えたことに感動である。
お互い、これから先、どんなことが起こるかわからない。
いつ死ぬかわからないし、いつか必ず死ぬ。
だから、家族や仲間と、全力でぶつかりながら生きていきたい。(大変だけど)
瞬間、瞬間を大事にしたい。
それでは、また!