ちきりんさんのキャンペーンセールに騙されてKindle版を購入。紹介のあったエントリーは以下。
Chikirinの日記 for DU 2013-04-01 プロゲーマー梅原大吾さんと対談しました
これが結構心にグッと来る。騙されて良かった。
目の前の仕事や趣味や普段の生活なんかでもそうなんだけど、最初は目標としていたことが目的にすり替わってしまっていることが結構ある。
「ものを作る」ことそのものが目的になってしまったり、本を読むこと自体が目的になってしまったりする。
厄介なことに目標が目的にすり替わったことに気づかないことすらあるのだ。
プロゲーマーの梅原さんは自身の経験をふまえて本の中でこう言っている。
大会をひとつの目標にすぎないと考え、自身の成長を目的と決めてからは、大会の結果にあまりこだわらなくなった。勝っても負けても、同じ気持ちで努力できるようになった。毎日やるべきことは、大会の結果に左右されるべきものではない。
昨日のエントリーでも同じようなことを書いたが([サラリーマンの働き方]とにかく「会社を踏み台にして成長します」と言ってみよう。)目の前のことが目的になってしまうと、自分という人間は小さく小さくなっていくのだ。
続けてこう言っている。
結局、大会の結果を重視する人は、人の評価でモチベーションが変わる人と言える。その人の強さは、別に大会があろうがなかろうが変わらない。それなのに大会に勝って喜び、負けて悔しがるのは、人の評価、拍手喝采が原動力になっているということではないか。
自身のことを思い返して欲しい。何か目の前のことにチャレンジする時に、先々のことを想像すると、喜びとか恐れが膨らんでテンションが上がったり、怖くて足がすくんだりした経験はないだろうか?子どもの頃のことを思い出すと、運動会のかけっこで緊張したのは、友達や親に「いいところ」をみせて褒められたいから。失敗したくないと思うから。失敗したらかっこ悪いと思ったからだ。
目の前のことだけにとらわれてしまう、かけっこに勝つことが目的になると、こういうことが起こるのだ。人の評価を軸に物事に取り組むと、目の前のことだけに一生懸命になってしまう傾向がある。
自身の成長に軸足を置く。これそのものが生きる上での目標であり目的なのだと考えると、すべてがうまく回っていくのだろう。
私の大好きな本、ジョン・キムさんの媚びない人生にも、こう書いてある。
成長に執着駅はない(p.88)
人間は本当に死ぬ時まで、成熟し、成長していくことができる。それこそが唯一、人生のなかで掲げるべき真実であり、目標だと私は思っている。
梅原さんの本を読んで、この言葉がとてもシックリきた。
目の前の取り組みを、自身の成長の過程であると認識すると、付帯して起こることもすべて学びに変わっていく。
成功も、失敗も、すべてに価値が見えてくるのだ。
自身の成長に軸足を置く。これはまさに人生論である。
こうやって考えることができるようになれば、普段の何気ない日常すら、キラキラと輝き始めるのだと思う。
今日も一日、素晴らしい日になるのは間違いない。
それでは。