この本をご存知でしょうか?
幻冬舎の編集者、箕輪厚介さんの著書「死ぬこと以外かすり傷」、略して「死ぬかす」。
この本を読むまで、箕輪さんという人をぼくは詳しく知らなかった。
読んで思ったのは「天才編集者」というよりは「変態編集者」だな、ということ。
クレイジーなほどに覚悟を決めて仕事をし、クレイジーなほどに行動し、クレイジーなくらい人と会い、クレイジーに地道な努力を重ねている人。
はっきり言って、ぼくは箕輪さんのように生きることはできないし、したいとは思わない。
けれどこの本を読んで、いつかは必ず死ぬぼくは、「こんなに行動量の少ない自分のまま生きていていいのか?」「こんなにビビっていて死ぬときに公開しないのか?」と強い疑問を持った。
ぼくはいつも、やりたいことが見つかっても、歩みがのろく、ビビって踏み出すことができず、その間にできない理由をでっちあげて結局行動しないことが多い。
箕輪さんの生き方を知って、恥ずかしさすら感じた。
この本は、読むだけで血が騒ぎ、何か行動を起こしたくなる、エネルギーあふれる本だった。
38歳にもなったぼくが、年甲斐もなく血が騒いだ箕輪さんのコトバを引用・紹介させていただきます。
安心安全を破壊せよ
計画どおり、段取りどおりに進む仕事。安心安全の空間からは熱狂は生まれない。
(中略)すると見城徹がみるみる怒り始めた。「遅すぎる!搬入日をあと2日前倒しにしろ!」「幻冬舎の流通を使え」。
双葉社は無理だと言う。それは当然だ。通例で考えたら無理なことばかり。ぼくは板挟みになりながらそれを伝えると「箕輪、よく聞け。無理はなあ、通すためにあるんだよ!」と一蹴された。
僕はその言葉に痺れた。そしてその瞬間に見城徹のいる幻冬舎へ行かなければダメだと思った。
与えられた仕事を段取りどおりにこなす。そうすれば失敗しても大きな傷は負わないだろう。
しかし、そんな予定調和からは何も生まれない。無理と言われたら突破する。ダメだと言われたら強行する。僕は半ば意識的に予定調和を破壊する。ありえない日程で出版まで駆け抜ける。イベントをドタキャンする。泥酔状態で偉い人との会食に行く。
社会不適合者と後ろ指をさされても、これでいいのだ。
いや、こうでもしないと、周りも自分も弛緩してしまう。いつ刺されるか分からないから危機感が生まれ、どこに宝が埋まっているか分からないから血が沸くのだ。
ギリギリの綱渡り。どっちに転ぶか危うい状態でなんとか落ちずに走り続けろ。そうやって初めて鮮やかな結果が出る。
箕輪さんは幻冬舎の編集者になる前は双葉社で働いていた。
双葉社での編集処女作が、当時の幻冬舎社長の見城徹さんの本。
そのときの状況が書かれている箇所に血が騒いだ。
最初読んだときは、ただのクレイジー野郎としか思わなかったけれど。
予定調和からは何も生まれない。おっしゃる通りだ。
ぼくはサラリーマンをやっていたころ、予定調和の世界を生きてきた。
会社を辞めて飛び出したときは、予定調和のない世界に最初はたじろぎおののき立ちすくんでしまったが、そのときの経験と感覚は閉じこもっていた自分を拡張してくれた。
いまも大事なぼくの一部として機能している。
でもいままた、予定調和な世界で生きようとしている自分がいる。
たった一度の、いつ死ぬかわからない人生だ。
もっと自分が拡張していけるような経験と感覚を増やしたい。
これからは、半ば意識的に、予定調和を破壊する必要がありそうだ。
自分に何万円の値札を貼るか
ついには埼玉に住んでいたときと比べて月収は20倍近く上がった。しかし僕の実力が20倍になったわけではない。僕がしたことは、無謀にも市場に出て行き、自分の腕一つで稼がなければならない状況に自分を追い込んだだけだ。
しかし、その瞬間、それまでの檻の中で安寧に暮らしていた僕の意識が変わったのだ。自分で餌を探すことを覚え、狩りの仕方を習得したのだ。
どんな小さなことでもいい。自分の手で、頭で、足で、名前で稼いでみろ。自分の値札を意識しなければ、一生飼われた豚のままだ。飢えたオオカミになれ。
人からそっぽを向かれたとき、失敗して後ろ指さされたとき、生活が苦しくなったとき。
そんな想像が頭をよぎると、自分を追い込むことが怖くなる。
でも、順番が逆だった。
自分を追い込むことをしないから、いつまでたっても怖くて行動できない。
自分が拡張していかない。成長しない。自分の値段を上げられない。
一生飼われた豚のままは嫌だ。
毎日目の前のことに、自分がこれまでやってきたことの集大成を注ぎ込めば、また今日も成長できる。
市場に出て、自分の値札を意識しよう。
今やれよ!
「クリスティアーノ・ロナウドのようになりたい」と夢見るサッカー部の少年がせっせと上級生の球拾いをしていても、永遠にクリスティアーノ・ロナウドにはなれない。一流のサッカー選手になりたければ、誰よりもボールを蹴る以外に方法はないのだ。
人の何十倍も努力しろ、と言うけれど、人間はみな平等に24時間しか持っていない。不眠不休で働いたとしても、時間で考えるとせいぜい人の2倍しか努力はできない。では、どこで差がつくか。
それは、「昨日までできなかったことをできるようにする」ということを日々積み重ねることだ。
昨日と同じコピー取りを今日も繰り返していたところで成長はない。今はSNSでもオンラインサロンでもチャンスに触れる機会は5年前に比べ段違いに増えた。時間は有限だ。人はすぐ死ぬ。だから「今やれ」。
「昨日までできなかったこと」をやる。その実践を繰り返した先にプロフェッショナルがあるのだ。
いま住んでいる世界の常識や雰囲気に飲まれて、目的を見失ってしまったら、何者にもなれない。
毎日毎日、自分が目の前のことをやっている目的に意識的になる必要がある。
毎日毎日、1日の最後の最後まで、できる限りを尽くす。
そして毎日、夜、振り返る。
「昨日までできなかったことで、今日できるようになったことは何か?」
この確認を繰り返すことで、毎日成長する。
だから「今やれよ!」なんだ。
最後まで、ギリギリまで、「今やる!」をやろう。
まとめ
ここ最近、ずっとやりたいなと思っていたフードトラック(移動販売車)を、いま一緒に住んでいるパートナーとやることにしました。
やらずに後悔するよりも、やって後悔する人生にする。
毎日できる限りを尽くして、成長して、自分の価値を上げていく。
1日を1時間を1分を、そうやって一生懸命生きる。