企業がリストラをするのは仕方がないことだと個人的に思います。
自分だって太りすぎて死にそうだと思えば、贅肉を落そうと必死になると思うし。
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ダイエットの場合は、運動や食事制限などにより自分自身に必ず痛みが伴います。だけどリストラ(ここで私がいうリストラは従業員に何かしらの条件を付けて退職してもらい固定費を削減することを言っている)の場合は、実行する人間の考え方・感じ方次第では、痛みを伴わずに結果を出せてしまうことがあるかもしれません。
ダイエットとリストラと成長との関係
ダイエットは、「体重10kg減が目標!」とした場合に、そうはいっても「健康でありたい」という意識があれば行き過ぎは自制できる。でもそこには、甘えが発生するかもしれない。「これ以上やったら身体がおかしくなっちゃうんじゃないか!?」とか、「食べないことでストレスが溜まったらよくないぞ!」とかね。なんとも人間らしいですよね。そりゃそうだ、人間だもの。笑
結果、目標を達成できないかもしれない。
でもそれは自ら選んだ道である、自分自身の責任である、と割り切れるんだろうと思います。
人間は自分の身体と対話をしながら、甘えたり、落ち込んだり、苦しんだり、喜んだり、、、葛藤しながら成長していきます。
考えがしっかりしてくれば矛盾や葛藤の「振り子」の中で、「どうなりたいか?」を見失わないようにやれるようになり、次のチャレンジに活かせるようになると思います。
リストラはどうでしょうか?「固定費10%減が目標!」とした場合、痛みを感じない人間が指示していれば、その数値だけに固執し始める。だんだん方法や手段を考えなくなる。仕事だからと割り切り始める。仕事だという大義名分を盾に、今まで扱いづらかったり気に入らなかったりする従業員をリストラしようとし始めるかもしれません。そして自分の言葉ではしゃべらず、何を言われても「会社の意思」なんていうなんともあいまいな表現をして逃げるかもしれません。
でもとにかく仕事であり目標ですから、手段が目的化しようがなにしようが、本当は「どうなりたいか?」など関係なくなり、なんとしてでも目先の目標を達成しようと必死になります。
結果、目標は達成できます。
会社組織というのは目標達成のために異常なまでのパワーを発揮します。
すべてのリストラがそうだとは思いませんが、もし上記のようなリストラになった場合、欠けるのは、きっと「自分自身との対話」でしょう。(ここでいう自分自身とは会社のことを指します。)数値目標だけに固執すると、すべての感覚が鈍化していきます。痛みも葛藤も矛盾も一切なし。感覚や感情を持たない非人間的な行為に発展します。もう感情も何もないわけですし、もっと言えばリストラする側は人を減らして規模を縮小するわけですから「成長」なんて頭は一切無いと思います。
たとえばリストラする側が「この家族構成で、このスキルで、ここから放り出すわけにもいかないよな….」とか、「こいつはなんとしてもこの会社で働きたいと言っている!どうしよう….」とか、「会社は給料をみてこいつをやめさせろといってるけど、こいつにはこんないいところがあるから、なんとしても残すぞ!」とか、真剣に悩んで痛んで考えることが重要なのではないかと思うのです。
感情には甘えや自己意思が必ず入ります。でも、仕事だからとか目標のためにと言って痛みや感情を失くしてしまっては、会社も人も成長しないように思います。
会社としてはリストラはしなくちゃいけない。でも本当はしたくない。なぜなら自分はこう思うからだ。自分はこうなりたい。会社はこうあって欲しい….それを声に出して言うことが大切なのではないかと思います。
自分自身との対話が成長へのカギ
「自分はこうなりたい」という理想を持ち、自分自身と対話しながら、矛盾や葛藤という大きな「振り子」を振る。時には痛みを感じ、時には苦しみながら前に進むことで、会社も人も成長するものだと私は思います。
人は感情で動きます。だから一見ムダとも思える感情を排除することは本当に危険なことだと思います。
自分自身との対話がなければ痛みも苦しみも感じません。また、対話をしないということは矛盾や葛藤から逃げるということ。矛盾や葛藤と対峙することを恐れているということ。これらは自分らしい・人間らしい感情を押し殺すことにつながっていきます。
つまりそれは「成長を捨てる」「未来の可能性を捨てる」ということにつながると私は思えてなりません。
自分らしく生きるということ
大切なのは「自分が思っていることを素直に言えること」「自分自身にウソをつかない」ということです。
つまり皆が「自分らしく・人間らしく生きている」ということが、会社も人も成長できる素晴らしい環境につながるのだと思います。
ダイエットもそうです。「モテたいからやせたいんだ!」と言えばいいのです。笑
それでダメでもいいじゃないですか。今自分ができる最善を尽くしたのなら仕方がない。
誰しもそういう部分が絶対にないとは言えないし、開き直って「ダメだった。テヘッ。」っていう人間らしさを否定できないはずです。
それでも「なりたい自分になれない自分」「言ったのにできなかった自分」に悩んだり苦しんで、失敗を次につなげればいいんだと思います。人間らしい部分で悩んで苦しむことは、とても大事なことだと思います。
何を犠牲にして、何を得るのか?
何を捨てて、何を守るのか?
自分らしく生きることを捨てたら、何を得られるんでしょうか?
私が最後に思うのは、リストラを実行している側に自分の心を押し殺している人が1人でもいるのなら、そのリストラは失敗だろうということです。
それでは。