コトバヤで絶賛販売中の「1000円のはりがねフック」が深い件。

 
先日、上田市柳街にある「コトバヤ」に行って、店長のさとみさんとお話をした。

コトバヤ フェイスブックページ

コトバヤは、正直に言えば「毎日行きたい!」というテンションなわけではない。

でも、ふとした瞬間、何をしに行くわけでもなく寄りたくなる本とコーヒーのお店。

その日も、「油売ってますか?」とおばあちゃんが訪ねてきた。

週に2,3回来るらしいそのおばあちゃんも、「コトバヤに引き寄せられている」とぼくは思った。

 

モノの価値は何で決まるのか?

さとみさんが、

以前アルバイトをしていたアクセサリーショップの店長さんはモノを大切にする人で、「100円ショップで安いから買う、結局使わないのにとりあえず買うって人たちのことがわからない。だから、欲しいもの、必要なものは、たくさんお金を払って買うほうが良い」みたいなことを言っていた。

という話をしていた。

この話の面白いところは、モノが目的もなく買われ忘れ去られてしまうのであれば、そのモノが持っている価値も、支払った100円も、いったいどこへ消えたのだ?ということじゃないかと思う。

 

ありそうな高校生の話から考えるモノの価値とお金のこと

でも、例えば高校生が3ヶ月アルバイトをして貯めた30,000円というお金を支払って手に入れた「エレキギター」は、大切に使ったり、愛着が湧いたりして、長い間忘れずにいられるんじゃないだろうか。

「そんなの当たり前だ。」というかもしれない。

じゃあこれはどうだろうか?

とても綺麗な石が30,000円で売っていた。

手で持つと、とても癒されるし、美しくて、見ているだけで嬉しい。

高校生の女の子がお店でそれを見つけ、どうしても欲しくなって、アルバイトで貯めたお金を払って買った。

でもこの石は、そのお店のインド人経営者が、海岸で見つけて拾ってきたもの。

気に入っていたので、拾ってきた石に、30,000円という値段をつけて試しに置いてみた石。

でもその女子高生は、その石を死ぬまで大切に持ち歩いていた。

あなたはこれについて、どう思うだろうか?

 

そんなに安くしなくてもいいんだよ

コトバヤでの話に戻そう。

さとみさんはもうひとつ面白い話をしてくれた。

ある仙人のような経営者が、コトバヤに並んでいる雑貨とその値段を見て「(自分の作ったモノを)そんなに安くしなくてもいいんだよ」と言ってくれたことがあって、その時なんだかジーンとした。ずっと心に残っている。

ぼくはこの話を聞いたときに、オオヤミノルさんというむちゃくちゃうまいコーヒーを淹れるおじさんの「自分をそんなに下にみなくていい」という言葉をなぜか思い出した。

自分に対してどういう感情を抱いているか?は、言葉となり、目の前のモノやコトに込められるのかもしれない。

 

コトバヤで販売している「1000円のはりがねフック」

これは、なんでもないただのはりがねフック。

これはさとみさんが余ったワイヤーを捨てるのがもったいないと思って、店内の植物やら小物を壁に引っ掛けるために手作りしたはりがねフックだ。

結論から言うと、ぼくはコトバヤでこれを1000円で買った。

ひとしきり話をしたあと、ぼくはこのはりがねフックがどうしようもなく買いたくなってしまい買いたくなってしまい、その感情を抑えることができなくなった。

何に使うのかと言われると、はっきり言って用途はないので、機能や実用性を求めているわけではない。

たまらなく欲しくなり、さとみさんが捨てられるはずのワイヤーをレスキューし、知恵をしぼって手作りしたはりがねフックを購入した。

 

お金を支払った分だけ、モノには特別な力が宿る

不思議な話だが、その「1000円のはりがねフック」を、ぼくは毎日ポケットに入れて持ち歩いている。

何にも使わない。ただ持ち歩いている。

持ち歩いて、1日に何回か気にして、ポケットに手を突っ込んで確認している。

あなたにとっては大したモノではないかもしれないが、ぼくにとっては、いまとても大切なモノになっている。

いや、さとみさんに惚れたとか、そういう話ではない。
(気持ち悪いやつだと思われるのは本意ではないし、さとみさんにも迷惑がかかりそうなので断言しておく。)

ぼくはこの「1000円のはりがねフック」を通じて、なにか大切なことがわかりかけている。

モノやコトの価値は、その機能・品質とコストパフォーマンスという情報によって決まる部分もあるけれど、それだけではないのだと思う。

提供する側が込めた情報。
受け取る側が込める情報。

それが、お金として現れ、価格が決まる。

価値は、それらすべての情報がすべていっしょくたになって決まる。

そのモノやコトを作っている人の感情も、価値となり、値段に変わり、お金になっている

作っている人とは、モノやコトを提供する人であり、受け取る人である。

お金が発生した分だけ、モノやコトには何か特別な力が宿るのではないか。

 

まとめ:モノの価値とお金の関係

どんなモノやコトでも「それにそこまでお金を出せない…」と思うくらいのお金を支払ったほうが、特別な力が働きやすいのかもしれないなと思いました。

モノの価値とお金の関係を考えることができる、コトバヤの「1000円のはりがねフック」。

深いです。

コトバヤに行くと、なぜかいろんなことを考え、気付かされます。

またいこ。

それではー!

 

ABOUTこの記事をかいた人

東京都北区出身。 これまでの経験と読書遍歴を活かして、現在は動画制作・コミュニティー運営・速読読書会開催・YouTubeチャンネル運営・オンライン講座を通じて、人が自らの才能を発揮し自由に生きるためのサポートをしています。