あなたは「親父の手」にどんな思い出がありますか?

 

2016/6/2に用があって東京に行ったので、病院で過ごしている親父に久々に会いに行った。
親父は脳梗塞で倒れ、当初は母親が頑張って自宅介護していたのだが、病気が重なりご飯を口から食べられる状態ではなくなってしまったため、病院にいる。
 
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親父は基本、眠っているか、テレビを見ている。
言葉もうまく発せられないので、何か言いたいことがありそうな時は「あいうえおボード」で指をさしてもらい、コミュニケーションをとる。
言葉が発せられなくても、コミュニケーションをとる方法はいくらでもあるのだ。

 

普段は20分くらいいるのが限界(何をしていればいいかわからず苦しくなる)で、すぐバイバイして病室を出る。だが、今回は無意味に居座ってみようと思い立ち、ただただ同じ時間と空間を2,3時間過ごしてみた。

 

 

あいうえおボード

 
親父はテレビを見て、ぼくは本を読んでいた。

 

すると、いつもならこちらから話しかけないと何も言わない親父が何かを言いたそうにこちらを向いてモゴモゴしてきた。何を言っているのかわからないので、あいうえおボードを使った。

 

 

親父は、文字を一つずつ指差し、

「お母さんは生きてる?」


と聞いてきた。

 

すぐさま母親に電話し、スマホを親父の耳にくっつけて声を聞かせた。
母親は、「この前行ったばっかりなのに〜」と言っていたので、「何か急に不安になったんじゃないの?」と電話を切る前に言っておいた。

 

 

それが終わってしばらくすると、またこちらを向いてモゴモゴし始めた。

「はるみの電話番号教えて」


※「はるみ」とは、親父の娘でぼくの妹です。
 
と聞いてきたのだ。

 

(そんなの聞いたって、お前電話できんだろ?)
と心の中で思いつつ笑、黙ってティッシュペーパーを折りたたみ、水性の青いボールペン(パイロットのVコーン)で電話番号を書いて見せた。

 

「ここに置いておくね。」
と言って、ベッドの横にある棚の一番上に電話番号入りのティッシュペーパーを置いた。
親父は安心したようで、またテレビを見始めた。

 

 

しぐさ

 
そのあと、本を読みながら親父の動きを観察してみた。
「この人は一体何を考えて生きているのだろうか?」という問いを持って、観察した。

 

・たまに、急に痛がり、寝返りをさせてくれと求めてくる。
・ベッドの手すりを左手で強く握る。
・ナースコールを左手で強く握りしめ、離さない時がある。
・テレビを消してくれと言い、眠ろうとするが、眠れずにまたテレビをつけてと言われた。
・NHKにしたら気に入らず、ワイドショーにしたらじっと見ていた。
・別れ際は必ず手を出して握手を求めてくる。

 

 

イヤシノウタ

 
「このしぐさにどんな意味があるのだろうか?」

 

吉本ばななさんの「イヤシノウタ」の中に「ほととぎす」というタイトルの興味深い読みものがある。それは、吉本隆明さん(ばななさんのお父さん)が死ぬ1年前くらいに家族に投げかけた、「ほととぎす」の鳴き声と、「いちばんはじめは一宮」ではじまる神社仏閣の歌についての問いの話。

 

認知症の人思考が宇宙みたいな大きなところにつながっていて、世界を普通に捉えている人間の器では理解できないくらい大きな言葉を投げかけてくるのではないか?その言葉の深い深い意味の話だった。

 

親父は言葉ではなく、「しぐさ」によって伝えたいことをぼくに投げかけてくれている。
人間のコミュニケーションは、言葉で伝わるのは実は2割程度で、8割は非言語で伝わるのだということを田坂広志さん「仕事の技法 (講談社現代新書)」という本の紹介記事で読んだのを思い出した。
 

■ 相手のメッセージの8割は、聞き逃している ■

雑誌『Forbes JAPAN』のウェブサイトで、

拙著『仕事の技法』(講談社現代新書)
 http://amzn.to/1OKIRjY

の著者インタビュー(全3回)、
その第1…

田坂広志さんの投稿 2016年6月6日

 

 

記憶

 
ぼくは親父の手の記憶を思い出してみた。
そんなに触った記憶がない。好きだったとか、温かかったというお涙頂戴的なエピソードも正直ない笑。でも、ぼくと一緒で手がとても小さく、皮がぶ厚かったのは思い出せる。

 

自営していたスーパーで出た生ごみを専用のゴミ箱に入れて肥料を作っていた。
お店で出すコロッケや唐揚げを毎日自分で揚げていて、油くさかった。
学生時代を思い出し、たまにクラリネットを引いていた。
魚もさばくことができたし、ほぼ毎日お店を開けて働いていた。

 

親父は酒が大好きで毎晩飲んでいたし、お金の使い方も荒かったし、短気ですぐ怒鳴るクセがあった。でも、家族に優しく、とても働き者だった記憶がある。働き者の手だったのだと思う。

 

 

伝えたいこと

 
親父はベッドの上から、何を伝えたいのだろうか?
大切な何かをぼくたちに伝えようとしている。

 

きっと、「大切な人を心配する気持ちと、「自分の子どもに何かあったらいつでも助けるんだという強い気持ちを忘れるな」と言いたかったのではないか?

 

別れ際の握手は、「出会ってくれてありがとう。また会おうね。」と聞こえた。

 

 

ぼくはまだまだ親父を超えられないなぁと思った。
どんな状態になっても懸命に生きている親父はすごいと思う。

 

 

あなたは、自分の「親父の手」にどんな記憶がありますか?
あなたの大切な人は、そのしぐさや行動で、何を伝えたいのだと思いますか?

 

それではー!

 

ABOUTこの記事をかいた人

東京都北区出身。 これまでの経験と読書遍歴を活かして、現在は動画制作・コミュニティー運営・速読読書会開催・YouTubeチャンネル運営・オンライン講座を通じて、人が自らの才能を発揮し自由に生きるためのサポートをしています。