2015年7月は本当にいろんな出会いがあった濃い1ヶ月でした。
はじめてイベントみたいなものを開催し、坂爪さんのおかげでたくさんの人とつながりができた気がします。
<参考記事>凡人が坂爪圭吾さんに会うまえに知っておきたい9のこと。
で、この前東京に行ったときに偶然に偶然が重なり、坂爪さんをキッカケにつながった2人と東京で飲みにいくことになりました。その2人とはイベントではほとんど言葉を交わすことはなく、SNS上での情報くらいしか持っていません。
昔の自分だったら考えられないようなことですが、でもなぜか絶対に悪い人たちではないという確信を持っていたので笑、会ってみようと決心しました。
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「一番上」は見えない抑圧の中で生きている
いろんなことを語り、自分の意見を言い合って、素晴らしい時間を過ごすことができました。
酔っぱらっていてあまり覚えてないのですが笑、印象的深かった話が子どもの話。
ぼくの長男がルールとか規則とかにクソ真面目で、信号無視とかするとめちゃくちゃうるさいんですわーという話をしたところ、子持ちのお父さんが「それわかるー!」と。
一番最初に生まれた我が子って、親もはじめての経験で大事に育てられるから、愛情をたくさんもらえるのはすごく良いことなんだけど、逆に大事に育てられすぎちゃうこともあるし、親は今までの常識とか子どもの頃のことを思い出して育てるしかないから、型にはまりすぎちゃったり、親の期待を背負わせすぎちゃうところがある、って話に。
2人目になると1人目のいろんな経験から「まあとりあえず何とかなる!」ってわかってるのと、1人目を見ながらの子育てなので、しっかり見ることはできないかわりに程よく力が抜けて、比較的自由な発想で成長していける可能性が高くなるんじゃないかと。
そこに集まった3人とも兄弟姉妹の中で一番上だった
驚いたのはみんな兄弟姉妹の中で一番最初に生まれていたということです!
どうりで話が合うわけだと思いました笑。
同じ意見だったのが、下の兄弟は比較的自由に生きているよね、ということ。
一緒に飲んだ女性の妹は、働きながらラッパーをやりながら自由な感じで生きていると。
真面目な一番上にはなかなかできない生き方笑。
常識が奪うもの
親の持ってる常識なんて、子どもが持つ無限に広がる可能性を削ぎ落していく死神の鎌のようなものです。
目の前のカラフルな世界の色を1つずつ消していく真っ黒な絵の具であり、成長の幅を狭めて1つの方向に導こうとする迷路のような存在。
一番上は大抵、目に見えない抑圧の中で与えられた常識をなぞるように生きていきます。
だから、無意識に自由を求め、チャンスがあれば飛び出そうとしています。自由のために必要なものに敏感になります。
ぼくは大学は地方に行って一人暮らしがしたかったし、高校のときも誰にも邪魔されない1人だけの空間が欲しくて親にねだっていました。けど、そんなことをしても結局自由になんてなれなかった。
自由を求めながらも罪悪感と戦い、常識の中で苦しみもがきながら生きているんだなということに気づきました。
本当の自分はどうしたいのか?
欲望や本能が常識と絡み合って強靭な糸となり、ぼくらの足にからみつく。
何に足を縛られているのかもわからずに飛び立つことさえできず、狭いかごの中に戻ってくる。
でも、狭いかごの中にある居心地の良さにも魅力を感じる自分にも気づきはじめ、本当はそうしたいから、糸を切らずに飛び立たないことを選んでいるのではないかとも思えてきます。
本当は、常識とか自由なんてどうだっていいのです。
常識というものがあるから自由になりたがり、非常識が受け入れられないから不自由になっていくだけ。誰しも、常識とか自由を実現するために生きているのではなく、人生を楽しむために生きているだけ。
まとめ
とにかく、人生を楽しむためには、
・どこまで自分の意識を下げられるか?
・どこまで自分の地力を鍛えられるか?
ということにかかっているのではないかと思いました。
「最悪でも、生きられればそれでいい」と考え、
「どんな状況でも生きているために必要なスキル」を身につけておく。
自由とか常識とか自分ができないことや無力なことを、周囲のせいにしているヒマがあったら意識と行動を変える必要があるのだと気づきました。
あれ?なんでこんな話になったんだっけ?笑
まあいいやー!とにかく楽しい飲み会でした!
Hさん、Yさん、ありがとうございましたー!
それではー!