その昔、道元という「禅」の道を説いた大宗教哲学者がいたそーな。(日本昔話風)
本の中には「日本人のほとんどが名前を知っている」と書いてありますが、わたしは全然知りませんでしたけどなにか笑。
道元が残した書は難しいと敬遠するお坊さんが多いそうです。
本書はそれを分かりやすくしたもののようです。
道元について
ちょっとだけ道元紹介。
・鎌倉時代(1200〜1253)に生きた大宗教哲学者
・貴族の家に生まれた
・10歳にも満たないうちに両親の死によって貴族として生きるよりどころを失い、自分の無常を痛感
・貴族社会の欲望や人間関係のしがらみの虚しさを知り、出家するために13歳で比叡山に登る
・比叡山の仏教教理に満足できず、24歳で中国・宋に渡る
・26歳で生涯の大師となる天童山の如浄禅師に出会う
・そのとき、「仏とは、まさに日常生活の自分の中に生きている」ということに気づいた
宗教チックな表現に抵抗のある人へ
本書には素晴らしいことが書かれているのですが、無宗教派のわたしとしては「宇宙の生命の賜物」「宇宙の力」とか「仏」「仏教の修行」とかいう表現が出てくるとどうしても抵抗を感じてしまいます。おなじように感じる人も結構多いハズではないかと。
ですが、そういう抵抗感は学びの機会を極端に減らす「害」でしかないと最近は思います。
脳みそにこびりついた常識・偏見が抵抗感を生み出しているのですが、そこを切り分けて読むように心がければ、こういう類いの本は学びの宝庫であると最近気づきました。特に仏教は、偉大な先人たちの生きる知恵がつまっており、多くの人がススメているように、より良く生きるための参考書になり得ます。
そうは言ってもわたしもなかなかその抵抗感を拭えない身なので、ここではできる限り抵抗感を感じる表現を避けてみます。
あと、神様とか宇宙とか仏とかの力に置き換わる言葉として、「サムシンググレート(何か偉大な力)」という表現をチョイスしました。
科学では説明できない「何か偉大な力」を表現するときに、分子生物学者で筑波大学の名誉教授である村上和雄さんという方が使っていた言葉で、宗教チックな肌触りをあまり感じなかったので。
それでは引用しながら書いてきます。
スポンサードリンク
道元が最も伝えたかったこと
100の教えが書いてあるのですが、道元さん(というかこの著者か?)が一番伝えたかったこと。
それは「自分を生かしているすべてのことに感謝する」ということだと思います。
1.自分で呼吸できることの尊さ
photo credit: Mycatkins via photopin cc
仏祖の鼻孔をかりて出気せしむ
道元は、人が生きているためには、まず、自分の鼻から出入りしている呼吸がもっとも必要であることを、静かにしみじみと考えなさい、と言う。
何気なく、当たり前のようにしている呼吸も、鼻、鼻の穴、その形、そして空気がなければできない。それらすべてを形作っている「サムシンググレート」に感謝することが大切だと言っています。
2.命の姿を感じる
洗面は仏祖の命脈なり
顔は、宇宙からいただいた命の姿であるから、顔をきれいに洗うことが、仏教の大事な修行だといっている。
もし目が顔の下の方についていて、口が顔の上の方に縦についていたら、どうなることか。こういう事実を当然だとしてうっかりしないで、人間が生きていくのにもっとも適切な位置に作ってくれた「サムシンググレート」に感謝することが、仏教の第一の学習なのだ。
これも、当たり前だと思って気にもしていないことに感謝を感じさせるための言葉ですね。
3.真に人間らしい生き方
photo credit: Stefano Montagner – The life around me via photopin cc
大恩を報謝せん
生まれてから今日まで、ずっと自分の生命を支えてくれている大自然の恩に深く感謝し、その大恩に報いるために、人間の心の平和と安定のために献身することこそ、真の人間の生き方である、と主張しつづけたのである
4.「自分もいつか死ぬ」と意識する
photo credit: botterli via photopin cc
志の到らざることは無常を思わざるに依るなり
すぐ散ってしまうからこそ、花は美しいのだ。今の一瞬だけを咲いていることが、いかにも尊く思われるのだ
人間も、花と同じように、この世に生まれてきたら、だれもが死ぬ。やがては必ず死ぬ命だからこそ、いま生きていることが限りなくありがたい
身近な人の死を経験すると、「自分もいつか死ぬ」という意識は強くなり、同時にいま生きているありがたさが強くなります。
わたしもおばーちゃんが死んだとき、そういう気持ちをいただきました。
【life】親愛なる祖母へ。命をつなげてくれてありがとう。 | SimpleeeLife 表現は人生をシンプルにする
生きているありがたさをかみしめて、日々を生きなきゃと思います。
5.「ごちそうさま」を噛みしめていう
photo credit: Cesar R. via photopin cc
食をして法と等ならしむ
せめて、一生一度でもいいから、こうして食べて生きていることの恩を、深く噛みしめる時間が欲しい。帰り際にグッと飲みほした一杯の水も、多くの動物たちや多種多様の植物を育てている宇宙の生命のしずくである。
その事実を「ああ、ありがたい」と感謝することが、仏道の大切な修行なのだ。
6.いまに満足する
知足(八大人覚)
人生、欲をいえば限りがない。ああこれで良かったのだと「足る」を知れば、だれもが簡単に苦痛から解放されるのだ。人生の悩みを消すのは、簡単なのだ。将来に欲を張らず、いままでの人生の何か一つにでも満足して感謝すれば、心はすぐ安らかになる。
イライラしたり、悩んだりするのは、他人と比較して足りないと思ったり、限りない欲を満たそうと力を入れるからです。感謝をする習慣がつけば、いまあるもので十分であるという感覚が広がり、イライラや悩みはどんどん減っていくのだと思います。
感謝する習慣によって得られるもの
当たり前になってしまったことや目の前の人・モノ・事に感謝できると、どんないいことがあるんでしょうか?
武田双雲さんの本で読んだのですが、感謝をする習慣を身につけると、脳みその感謝センサーが発達して、グーグルの検索機能のように5感で感じたものからもの凄い勢いで感謝を探すようになるそうです。
そうすると、感謝はずーっとチェーンのようにつながっていって、結局はサムシンググレート的な、何か説明できないものに辿り着きます。人と人との出会いなんてまさに運命的なもので説明がつかないです。
で、注目すべきはその検索と掘り下げの過程です。それによって、自分一人で生きているのではない、たくさんのつながりによって生かされているのかもしれないという気づきを得ます。
そうなるとまた感謝感謝!となってまた生きる力が湧いてくるというポジティブスパイラルに入っていくんだと思うのです。
つまり感謝の習慣によって得られるものは、
・生きる力が自然と湧いてくること
・人はひとりで生きているのではなく、たくさんの人やモノや事の「つながり」によって世界が成り立っていると知ること
・それによって自分ではない誰かのために生きることの大切さを知ること
ではないかと。
んー掘り下げてみると、感謝は生きる力を育てる素晴らしい習慣でしたね。
家族で身につけていかねばならない習慣だと改めて思いました。
まとめ
「無条件に無目的に自分をひらいて生きる」ことが、「人のために生きることにつながる」ことが最高な状態。
これは、ビジョナリーカンパニーの針鼠の概念にも通じるところです。
でもきっと、個性をひらいて毎日を懸命に生きることが、自然とだれかのためになるのではないかとも思います。
感謝をしながら個性をひらいて生きよう。
あなたの人生の文字盤が見つかることを願っています。
それでは!